会報 第2469回例会 2021年10月20日

第2469回例会 会報
2021年10月20日(水)

例会場:青葉台フォーラム / 時間:12:30~13:30

会長:清水裕之 / 幹事:北原弘文
司会:松尾伸治 副SAA / 点鐘:清水裕之 会長

≪発行 クラブ研修・広報・会報委員長:原野由紀≫


卓話

『イニシエーションスピーチ』

小八木隆男 会員 [職業分類:地方銀行]


ゲスト


該当者無し

ビジター


該当者無し

会員誕生祝


河原裕典 会員


 

斉唱

『それでこそロータリー』

 

 

紹介・挨拶・お祝い・表彰等

ゲスト紹介

該当者無し

 

 

ビジター紹介

該当者無し

 

 

会員誕生祝

河原裕典 会員

 

パートナー誕生祝

篠田正道 会員・パートナー 裕子 様

 

会長報告

清水裕之 会長

皆さん、1980年代から90年代に起きたコカ・コーラとペプシコーラの『コーラ戦争』、覚えていらっしゃいますか。テレビCMや販売宣伝の比較広告の戦いでした。
今日はもっともっと前に起きた興味深いお話をさせていただきます。
さて、皆さんがスタートアップ会社を立ち上げて、その業界での巨大企業に挑もうとした場合、どのような方法をとるでしょうか。大きく2つの方法が考えられます。一つはその巨大企業の強みを見つけてその分野で激しい競争をすること、もう一つは相手の弱い分野を探してその分野で戦っていくことです。

でもこの二つの方法には弱点があります。仮にあなたの会社が新しいアイデアを持って巨大な会社に挑もうとして、少しでもシェアを取ってきたら巨大企業は全力であなたの会社を潰そうとするか、買収されたりします。アリがいくらゾウに噛みついてみても、ゾウが痛いと感じたらすぐに殺されてしまいます。では、巨大企業の弱い分野に挑もうとしても、そもそもそれほど魅力的なマーケットではないかもしれませんし、仮にそのマーケットが大化けしても今度はその巨大企業が黙ってはおらず、同様につぶしに来てしまいます。
ではここから今日の本題です。人類の商業の歴史に、あるとても有名な例外が生まれました。マーケットに大きな変動のなかった巨大会社の隣にもう一つの巨大企業が生まれました。それは1940年前後、コカ・コーラの隣で大きくなったペプシコーラです。

先ほどもお話しましたが、巨大企業の隣に巨大企業が誕生することはほとんどありません。ましてや、飲料業界です。大きな技術的な革新が起こるはずもありませんし、マーケットにも大きな異変は起きづらいです。
コカ・コーラは1886年に創業し、12年後の1898年にペプシコーラが生まれました。1930年ころまで、この業界ではコカ・コーラの一人勝ちでした。では、ペプシの勝機はどこにあったのでしょうか。それはとてもシンプルなことで、コカ・コーラより大きなボトルのペプシコーラを発売しました。そのコーラの量はコカ・コーラの2倍で、価格はコカ・コーラと同じでした。それだけです。これだけ聞くと『ナンダ、価格競争だけじゃないか!』、ペプシコーラが価格競争に勝っただけと思われがちですが、実は価格は重要なポイントではなく、ボトルが最も重要なポイントです。
当時コカ・コーラはとても斬新なことを行いました。きれいなラインのデザインが入ったガラスボトルを作りました。このころは、まだまだブランド創りの発想はほとんどありませんでしたし、知的財産保護の意識も薄い世の中でした。そんな中での斬新なデザインによって一気に目立つようになりました。コカ・コーラはこのボトル数百億本を一気に世界に流し込み、また、膨大な広告宣伝を打ちました。宣伝費は1939年1年間で当時のお金で1500万㌦です。

話を戻します。コカ・コーラはペプシに対してどのような対抗策を打ったのでしょうか。
もしこのままほっておけば、ペプシの価格優位性でシェアはどんどん落ちていきます。では、ボトルの大きさをペプシと同じように2倍にすればいいのでしょうか。それはとても難しいことです。コカ・コーラはボトルに対して巨額の投資を行ってきました。世界中のボトルの生産工場やコーラの生産工場の設備を入れ替えなければなりません。それだけでなく、世界中のサプライチェーンの設備も変える必要があります。莫大な費用をつぎ込んだ広告も、やり直しです。これらのことから2倍の大きさのボトルに変えることは現実的ではありません。ペプシはこの戦略によってたった1年間で20%のシェアを取ってしまいました。
では、ペプシがコカ・コーラと同じ大きさのボトルで価格を半分にした戦略を取っていたらどうなっていたでしょうか。最初の内はある程度のシェアをとれてもイメージ的には安かろう、悪かろうとなりまた、ブランド力を落とす大きなリスクもあります。流通業者のマージンも減りますので長続きしなかったことでしょう。また、コカ・コーラは独占企業でしたので、本気でペプシを潰そうとしたら価格競争をして、ペプシを潰した後に価格を元に戻せばいいだけの話です。コーラの原価はとても低いといわれていますので、ペプシにとってコーラの量を2倍にして、価格を維持した方が得策なのです。

今までの話の中でもう気づかれたかもしれませんが、大手企業の弱みはどこにあるのかというと、その大手の優位性でもなければ弱点でもなく、その企業の『移行コスト』です。
長い時間とコストをかけて優位性を勝ち取ってきました。その特徴を3つ挙げますと
1.変更コストが莫大であること
2.変更すると元の優位性を失うばかりか、大きな損失を被ること
3.変更に長い時間がかかること
最後に今、世界中で我が世の春をうたっている『GAFA』などのIT企業を見てみましょう。先ほどの『移行コスト』は製造業と違いますので、対抗企業が出現するとすぐにまねをされたり、買収されてしまっていますね。今日のお話はここまでです。

 

幹事報告

北原弘文 幹事

1.武井会員の歓迎会

来週の10月27日 18時より木曽路 港北ニュータウン店

2.熱海南ロータリークラブから手紙が届きました。

田会長は9月16日、RI第2620地区小林ガバナーとともに熱海豪雨災害義援金を熱海市へ届けられました。
2,620地区への義援金は総額約7028万円、内、熱海南ロータリークラブからの義援金は約385万円です。

3.近隣クラブの例会変更

今週は特に連絡は届いていません。
コロナ禍下ですので、変則的な開催方法が見受けられます。
メークアップされる際は、先方のクラブへお問合せしてください。

 

委員会報告/会員報告等

親睦活動委員会

小泉豊 委員長

 

出席報告

松尾伸治 出席副委員長

今回出席状況
  在籍会員 出席 MU済 ビジター ゲスト
会員総数 30 17 0 0 0
(内 出席免除会員数) 6 3

 
ホームクラブ出席率 外部参加者
  会員数
(男/女)
出席率 正会員
出席
免除会員
出席
Make-up
会員
ビジター ゲスト
今回 30 (26/4) 62.96 % 14 3 0 0 0
前回補正後 30 (26/4) 64.29 % 13 4 1 0 1
前々回補正後 30 (26/4) 85.71 % 20 3 1 0 0
 

スマイルレポート

スマイル 16 件

ニコニコ

清水裕之 会長 先週はお休み致し、申し訳ありませんでした。小八木会員、本日のイニシエーションスピーチ 楽しみにしております。よろしくお願いします。
北原弘文 幹事 昨日は久しぶりに、 陣馬山(じんばさん)から高尾山まで 駅伝仲間達と縦走してきました。スピードハイクなので、曇りに恵まれました。
浅井優子 会員 小八木会員、本日のイニシエーションスピーチ とても楽しみにしております。
内倉和子 会員 小八木会員、本日のイニシエーション よろしくお願い致します。
大地哲郎 会員 小八木会員、本日のイニシエーションスピーチ よろしくお願いします。
河原裕典 会員 誕生祝い ありがとうございます。先月には妻の誕生祝い 頂きまして ありがとうございます。
小泉豊 会員  
小八木隆男 会員 本日、イニシエーションスピーチ、非常に緊張しております。宜しくお願い致します。
齊藤清紀 会員 小八木会員、本日の卓話 宜しくお願い致します。
齋藤光宏 会員 お世話になっております。小八木会員、本日のイニシエーションスピーチ よろしくお願いいたします。
高嶋淳二 会員 本日は、何もいうことはございません。
田中孝 会員 小八木 隆男会員、イニシエーションスピーチ 楽しみにしております。よろしくお願い致します。
原野由紀 会員 小八木会員、イニシエーションスピーチ がんばってください。楽しみです‼
舟橋金之介 会員 小八木会員、本日のイニシエーションスピーチ 楽しみにして居ります。
松尾伸治 会員 小八木会員、本日 卓話 よろしくお願いします。
武藤泰典 会員 小八木 支店長、本日の卓話 よろしくお願いいたします。
 

ニガニガ

今回は無し  
 

卓話

イニシエーションスピーチ

小八木隆男 会員
[職業分類:地方銀行]

昭和44年(1969年)1月 滋賀県長浜市の出身です。
その日は、東大安田講堂事件の日で、TV等で当時の映像が流れると、両親はこのニュースを見ているどころではなかったのだろうなぁといつも考えてしまいます。
長浜市はあまり馴染みのない土地だと思いますが、自分が育ちました「浅井町」は、浅井長政の居城であった小谷城が近く、豊臣秀吉の長浜城もあり、地元民にとっては、勝手に歴史の宝庫と自慢をしておりました。しかし、神奈川県民の方は想像できないような、田畑しかない俗に言う「ど田舎」で高校卒業までの18年間を過ごしました。

両親は、脱サラをして商店を経営。自分が小学校4年生位の時に、当時の田舎では珍しいスーパーマーケットへ転換。
「スーパーこやぎ」という、信じられないような単純なネーミングでしたが、当時は、「●●商店」や「●●食料品店」というお店ばかりでしたので地元では斬新だったのだと思います。父親の事業拡大と共に、その頃から少しずつ生活が変わっていくのが、小学生であった自分にもわかりました。自宅新築や、庭の池には錦鯉、ガレージに高級車、40年前では珍しい、大画面テレビやビデオデッキも普通にありました。TVゲームを買い与えられ、両親共に、スーパーで働いておりましたので、友達の溜まり場となりました。

実は、当時、父親も地元のロータリークラブに入っておりまして、ロータリーの徽章を自慢げに僕にも見せてくれました。
毎週、火曜日が例会日だったので、それ以外の日は、父に内緒で小学生の自分が徽章を制服につけて学校に行っていました。
中学生になる頃には、将来は父親の会社に入り自分も同様の生活をと考え、中学卒業後に父親の会社に就職しようと、全く勉強せずの不良生活でした。しかし、すぐにその目論見が崩れます。

中学3年の時に、父親の会社が倒産し、自分自身が描いていたライフデザインが白紙となります。
倒産原因は、友人の連帯保証人による連鎖倒産と当時は聞いていましたが、後日、兄に聞いたところ、実際は放漫経営による財務内容の悪化が原因でした。銀行借入以外にも、高利貸しからの借入れもあった為、弁護士のアドバイスで、両親は暫く身を隠すことになりました。(今、思うと弁護士のアドバイスとは思えません)
自分は当時中学生だったので当時大学生だった兄と留守番をすることになりました。そこで、貴重な体験となる高利貸しとのやりとりは、まさしく「ナニワ金融道」「ミナミの帝王」の世界でした。(必ず夜に来て、自宅前で騒ぐ)
その様な中で、銀行員の方々は紳士的でした。明るい時間に来て、両親の居所を聞かれましが「わかりません」と答えるとそれ以上のことは聞かれませんでした。そして、帰り際に「今、お父さんは大変な時なので、男の子は父親を支えよ」と言って帰られました。

その後、大学4年の就職活動では、本能的に流通業の門を叩いていました。流通業に入り、父親の経営の失敗理由を究明しようと漠然と考えていましたが、就職相談を兄にしたところ、「大手流通業に就職しても究明は出来ないと思う。銀行に入れば、様々な会社の財務内容や経営手法を見ることができるので、銀行がいいのではないか」とのアドバイスを受け、銀行への就職を決め現在に至っております。

諸先輩方と比べまだまだロータリー経験も浅く若輩者ですが、今後も皆様からのご指導を宜しくお願い申し上げます。

 

オンライン出席状況

該当者無し

 

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