横浜緑ロータリークラブ

会報 第2587回例会 2024年 5月15日

第2587回例会 会報
2024年5月15日(水)

2023-24年度

例会場:青葉台フォーラム/ 時間:12:30~13:30

会長:浅井優子 / 幹事:日向誓子
司会:田邊雅子 SAA / 点鐘:浅井優子 会長

≪発行 クラブ研修・広報・会報副委員長:齋藤光宏≫


卓話

イニシエーションスピーチ

古賀千恵 会員[職業分類:証券業]


ゲスト


該当者無し

ビジター


該当者無し

会員誕生祝


該当者欠席


斉唱

『それでこそロータリー』


『四つのテスト』斉唱(第2週例会)/唱和(第4週例会)

『四つのテスト』唱和


紹介・挨拶・お祝い・表彰等

ゲスト紹介

該当者無し


ビジター紹介

該当者なし


米山奨学生紹介/奨学金授与



お祝い/表彰等


会員誕生祝

該当者欠席


パートナー誕生祝

該当者無し


会長報告

浅井優子 会長

皆様、こんにちは。
本日の会長報告は、先週お伝えしました通り、台湾訪問の写真を交えての報告になります。

去年に続き今年も舞台に立つ事になりました。
とても貴重な経験ですが、私にはとても重荷でしか御座いませんでした。
去年は、祝賀会の1週間位前でしょうか・・・
前年度高嶋会長が参加出来ずに変わりにメッセージの代読を頼まれるのかと思っていたら そうでは無く、新たにお祝いメッセージを・・・
と、頼まれた事が良かったのか、1度経験したので、今回は多少気持ちが楽でした。
今回の訪問は、急な日程の変更で3人の会員でしたが、先週もお伝えしましたが、来年4月19日に、ジェシカのガバナーお疲れ様パーティー?がありますので、今から予定を入れておいて下さい。


幹事報告

齊藤光宏 副幹事

副幹事の齋藤光宏です。
日向幹事が急なお仕事でご欠席ですので、私から代理で幹事報告をさせていただきます。
本日の報告事項は3点です。

1.本日みなさまに配布させていただいた「ハラスメント防止」に関する資料は、ガバナー事務所より、会員全員に配布依頼のあったものです。 ロータリアンの皆様におかれましては心配なきことと存じますが、お目通しをお願いしま す。

2.5月8日(水)に定例理事会が開催されましたので4点ご報告いたします。

  1. 期末懇親会の日程が、6月20日(木)6月21日(金)の1泊2日と決まりました。場 所は石川県金沢市を予定しています。
  2. 例会場の移転の件で、6月5日(水)12:20より臨時総会を行う予定です。
  3. 5月22日(水)に行う次年度役員・五大奉仕委員長会議をメーキャップ対象とすること が決まりました。
  4. こども村に5万円を寄付することとし、5月22日(水)開催の例会時にお渡しすることが決まりました。
    なお、同日、代表の古屋様が卓話をしてくださる予定です。
    皆様におかれましては、こどものおもちゃ等で使っていないものがございましたらお持ちく ださい。
    また、同日午後3時よりこども村が開催されます。ご都合のつく方は是非お越しくださいと のことです。

3.今後の例会日程についてです。
5月29日(水)の例会は、国際大会からの帰国日となりますので休会です。


委員会報告/会員報告等

親睦活動委員会

下中英輝 副委員長


出席報告

北原弘文 出席副委員長

今回出席状況
会員情報 在籍会員 出席 MU済 ビジター ゲスト
会員総数 22 14 1 0 0
(内 出席免除会員数) 7 4

ホームクラブ出席率 外部参加者
対象 会員数
(男/女)
出席率 正会員
出席
免除会員
出席
Make-up
会員
ビジター ゲスト
今回 22 (18/4) 75.00 % 10 4 1 0 0
前回補正後 22 (18/4) 73.68 % 10 4 0 0 2
前々回補正後 22 (18/4) 89.47 % 13 4 0 2 4

スマイルレポート

スマイル 10 件

ニコニコ

浅井優子 会長 古賀会員、本日のイニシエーションスピーチとても楽しみにしております。
北原弘文 会員 古賀会員、入会早々のイニシエーション・スピーチを快諾いただき、ありがとうございます。
古賀千恵 会員 本日は僭越ながらイニシエーションスピーチさせていただきます。よろしくお願いします。
齊藤清紀 会員 古賀会員、本日の卓話宜しくお願い致します。先週は法務の為欠席し申し訳ございません。
齋藤光宏 会員 古賀会員、本日のイニシエーションスピーチよろしくお願いします。
下中英輝 会員 古賀様 本日の卓話よろしくお願いします。
高松昌樹 会員 古賀様、本日のイニシエーションスピーチ楽しみにしております。
田中孝 会員 古賀千恵会員、イニシエーションスピーチよろしくお願いします。
田邊雅子 会員 本日の卓話、古賀様どうぞよろしくお願いします。
舟橋金之介 会員 古賀会員、本日のイニシエーションスピーチ楽しみにして居ります。


卓話

卓話者紹介


イニシエーションスピーチ

古賀千恵 会員
[職業分類:証券業]

皆様こんにちは、SMBC日興証券青葉台支店 支店長古賀 千恵と申します。

歴史ある横浜緑ロータリークラブの一員になることができました事を大変有難く感謝申し上げます。本日はイニシエーションスピーチということで、このスピーチは2回目だから大丈夫でしょう!と励ましの言葉をいただきながらも、見ての通りとても緊張しやすい性格なのでお酒が入らないとちょっとお聞き苦しく面白みがないかもしれませんが、何卒ご容赦いただきますよう宜しくお願いいたします。因みに前回のイニシエーションスピーチはで2名ロータリー同期がいたので、一人当たり15分の時間をいただきました。今回30分も貴重な皆様の時間をいただくに値するお話しになるか心配なのですが、どうぞ宜しくお願いいたします。

私の出身は九州宮崎です。両親の出身地は長崎なのでお墓は長崎にあります。毎年小学生・中学生の夏休みには、お墓参りのために長崎に父方母方と2週間程帰省していました。

その為、ふるさとというと長崎をイメージしてしまいます。その故郷の思い出を少しお話させてください。長崎には、お盆の時期に精霊流しという伝統行事がおこなわれます。初盆を迎えた故人の遺族が、お盆の終わりの8月15日、夕刻から夜中にかけて、「無事に極楽浄土までたどり着けるように」という願いを込めて、藁や木で作った船を曳きながら街中を練り歩きます。家紋を付けた提灯や灯篭、お花や色々な絵や趣味のもので飾りつけされ華やかに豪華に装飾された精霊船。船の大きさは最大で全長10メートル(10メートル以上の場合は10メートル以下の船を連結する)、胴体7メートル、幅2.5メートル、高さ3.5メートル(持ち上げたり担いだりしたときの高さ)、子供から見たら恐竜みたいな大きさですね。そんな大きさの船から少数人で持てる大きさまで様々です。夕闇がせまるころ、町のあちこちから鐘の音が響いてきます。 耳をつんざくほどの爆竹と鐘の音、「ドーイドーイ」の人の掛け声とともに、行列は夜遅くまで続きます。最終到着場所は海に流し場という場所を設けてあるのです、その道々で鳴らされる爆竹は中国が起源であるなら「魔除け」の意味であり、精霊船が通る道を清めるためのものらしいです。日本で一番爆竹が売れる都市は、長崎らしいです(長崎観光ガイドに掲載されていましたので本当だと思います) その日は爆竹のみならず、町中の耳栓が売り切れる程全員が耳栓をしています。私も耳栓をしながら見学したのを覚えています。夏休みの思い出の絵日記には精霊流しの船を書きました。長崎出身の歌手、さだ まさしさんの曲に 『精霊流し』という曲があるのですが、あの歌詞のようににぎやかに華やかに繰り広げられますが、目の前で感じたのは、子供ながらにしてそのにぎやかな中にも荘厳で寂しさや憂いのようなものを感じる瞬間がありました。祈る気持ちになる、そういった時間でした。印象深い思い出の一つです。

幼少期時代は、海水浴や山登りに温泉にと家族でドライブに行くのが楽しみでした。すぐ近くに自然がある環境で生活していました。夏は一日中真っ黒になるまで走り回っていました。

その中でも楽しみのひとつは、家族とのドライブ中に車の中で歌を歌うことでした。歌うのが大好きな子どもでした。小学校で配られる童謡や小学校の音楽の本とかを車に持ち込んでは2人姉妹なのですが、妹を巻き込んで歌っていました。人前で歌った初体験は、長崎の祖父の喜寿のお祝いの席でした。親戚20人くらいの集まりの中、誰か舞台で披露して歌ってといわれたのです。私の親戚の子供たちは本当に恥ずかしがり屋の子供ばかりだったので、ここはちょっと盛り上げなければとサービス精神旺盛な性分がそのころからあったのか、その当時幼稚園の年長さんだったとおもうのですが、頑張りました。歌った曲は、『あなた変わりはないですか、』と都はるみさんの『北の宿』です。その当時カラオケもない状態、アカペラで歌いました。

幼稚園生が『女心の未練でしょう~』と歌うのですから、親戚には驚かれて沢山の拍手をしてもらった覚えがあります。子供なりに緊張しつつも喜んでもらえたと嬉しくなりました。両親は、童謡でも歌うのかと思っていたのにととっても驚いていました。

それがきっかけかわかりませんが、小・中・高とコーラス部に所属。高校生では全国大会に毎年出場する高校に進学しました。当時その高校で父親は英語教師をしていました。その父には大変申し訳なかったのですが、朝昼晩と勉強そっちのけで部活に明け暮れ、地区大会、県大会・九州大会・全国大会と 野球で言えば甲子園に行くような気持ちで部活動ばかりしておりました。歌の種類は、ピアノ伴奏はない『アカペラ』で、人数は女性30名弱くらい。

10パート以上のパートにわかれて音をはもらせるといった複雑なミサ曲やレクイエム等、海外の曲が多かったです。部活では高校2年生が執行部を行うのですが、その中で音大に行く同期ではなく、なんと私が部長となってしまいました。先生の指導は熱く厳しく、どんどん人はやめていくし、先輩の3年生には、『こんな練習では全国大会にはいけない』と叱咤激励され、練習内容を改めないと参加してもらえない等ボイコットもされました。初めて人を束ねるって大変なことだと学びました。人を鼓舞して引っ張っていく、ついてきてもらうためには何が必要なのだろうといつも考えていました。

おかげでそのころ今以上に純粋な乙女だった私は(高校生ですから当然ですが)、いわゆる円形脱毛症を経験。500円玉と50円玉くらい。長い髪で束ねる場所を工夫して隠しながら部活に没頭しておりました。幸いにもその1度きりで再発はしませんでした。コンクール結果は、無事全国大会に出場でき1番ではないですが金銀銅の銀賞をいただくことができました。その時の全員で撮ったうれし泣き後の笑顔の記念写真は、これが青春の1枚なのだなと、今振り返りそう思います。あきらめずに頑張り続けることの大切さを学びました。

というわけで、文武両道をうたった高校生活でも部活のみに専念。高校卒業後は、福岡の短期大学に入り中学校家政科教師の資格は取り教育実習にいくのですが、とても楽しくいい経験となった半面、一番多感な時期の中学生の先生として20歳そこらの何も知らない自分には教師は務まらないんじゃないかと自分がなにか恥ずかい気分になり、これは多少人生・社会の荒波にもまれてから、どうしても教師になりたい思ったら改めて考えようと思い、日興証券株式会社に入社を決めました。そして本当に荒波にもまれることとなりました。当時は、女性は地域配属がほとんどで日興証券宮崎支店に配属されました。その当時は山一證券も存在する時代。昔の証券会社の成り立ち、色々な局面での会社への不信感(大変未熟ものであったこともありますが)も感じ、相談する先もみつけられず3年で一度退職しました。

そのあと約7年間は何社か他業務を経験することとなります。自動車のショールーム受付兼販売業務2年半、そんな時、結婚もしないなら東京に出てきてもいいよと親も私を地元宮崎に留めるのをあきらめ、東京で薬剤師の資格をもって薬の治験の仕事をしている妹と同居することを勧められました。(今は両親もこちらに呼び寄せております)

東京に出てきて妹と2人暮らしをするのですが、兎に角、派遣からでもすぐ仕事をしようとまずは、土地勘をもつことと方言なまりをなくさなくてはと考えました。

最初は、合併前の住友銀行に派遣勤務。大手町本社の日本国債売買インターバンク取引(当時日銀白川総裁の時代 為替介入時期)のバックオフィス業務。その後、正社員でベンチャーの秘書業務。正社員で外資証券会社のJGBブローカー業務アシスタント業等、色々な仕事を経験しました。その後、当時石原都知事が構想をたてた新銀行東京に住友銀行派遣時代の上司がいかれていて採用試験を受けるご縁をいただきました。(結果的に最終書類選考で落ちました)銀行の最終書類選考結果がでるまで2か月あり、その間も仕事をしておきたかったので、たまたま短期の派遣を探していた日興コーディアル証券五反田支店で働くことになりました。その時、7年で会社も世の中もこんなにも変化したのかと本当に驚きました。驚いた点は、新入社員時代に右と左を教えていただいたので手に取るように仕事の流れが見えたことは嬉しかったこと。証券会社の営業員が相談を受ける投資アドバイザーをしていること。中長期分散投資の考えがうたわれていること等々。今思えば、そのあとまだまだ変化していくのですが少なくとも入社当時よりもずっと理想に近くなっていることを感じました。

その時の支店長に銀行の最終選考で落ちたことを報告すると、日興証券に戻らないかととても熱心に薦めてくださいました。その当時は、実はずっと辞退し続け半年派遣業務が続きました。断っていた理由は、私は小心者です、命の次に大切な資産、その大切な資産が変動にさらされる損得にかかわる仕事、人様にご迷惑をかける可能性もある。損得の発想で仕事はできないと、そういった理由を述べお断りをし続けておりました。そこである言葉を上司に言われます。『小心者のほうがこのお仕事は向いていますよ。なぜなら、より相手がどう思うかが気になりますし、その分お客様の気持ちを考えることができるでしょうと。自分のやり方で貫いたらいいですよ』と。自分らしさを貫いたらいいのかと、目からうろこといいますか、それだったらと。少し目の前が開けた気分になりました。そこで30歳くらいですね、新人と同じ立場から日興証券に再就職しました。給与は派遣より安かったです。そこから再入社し、はや今年19年目となります。

ここ数年、ロータリーでも多様性・ダイバーシティ等のお話をよく耳にしますが、会社でも同じくSDGsサステナビリティ等様々な本業以外の推奨や学びがあり時代の変化を感じます。この会社に勤めていなければ、今現在ここで出会わせていただいた横浜緑ロータリークラブの皆様とのご縁を頂いたりはできなかっただろうと、日々感謝の気持ちで有難く務めさせていただいております。

今は、真のお客様起点で働く姿勢を営業社員全員に持ってもらいたいと、営業員の育成に励んでおります。会社もお客様本位を評価方針にする体制となっており、時代に合わせた変化をしてきておりますので、やりがいのようなものを感じながら日々学ばせていただいております。 色々なお仕事がある中で証券会社に再就職した理由をよく問われます。なじだろうといつも色々考えますが、人とかかわることができて、人様の何かお役に立てる事がしたいとは思っておりました。なのでご縁としかいいようがない。全ての仕事が人様のお役に立っていると思うので、極論金融でなくてもよかったのかもしれませんね。

これからもHospitality精神の追求をし続け、自分の存在意義を感じられる仕事を真摯な気持ちをもって続けていきたいと思っております。そしてロータリーでも少しでもお役に立てるよう頑張ってまいります。以上で、私のイニシエーションスピーチを終了いたします。ご清聴頂き有難うございました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


オンライン出席状況

森一誠 会員/岩澤信吾 会員


下記画像をクリックでフルスクリーンスライドショー