会報 第2222回例会 2016年03月02日

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第2222回例会 2016年 3月 2日(水) 例会場:青葉台フォーラム 時間:12:30~13:30
会長 露木健造 幹事 小泉豊 会報委員長 清水保代
司会 飯田正男 SAA 斉唱 『君が代』 / 『奉仕の理想』 点鐘 露木健造 会長
卓話

『ペットと健康』 小西さつき 様(green letter)

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誕生祝 ビジター ゲスト
無し 無し green letter 小西さつき 様 / 下山俊子 様 / 平沢由美 様
 

お祝い・表彰・挨拶等

ゲスト及びビジター紹介

ゲスト

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green letter
小西さつき 様
下山俊子 様
平沢由美 様

 

米山功労者

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第5回

加藤喜夫 会員

 

2016-17年度地区委員 委嘱状交付

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北原弘文 会員
(グローバル補助金委員会 副委員長)

 

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武藤泰典 会員
(グローバル補助金委員会)

 

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舟橋金之介 会員
(インターアクト委員会)

 

会員誕生祝

該当者無し

 

パートナー誕生祝

舟橋金之介 会員パートナー:真弓 様

 

会長報告

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会長:露木健造

あざみRC主幹IMが企画・サポート共に、箕田ガバナーによる講評挨拶で大絶賛で終了できましたことは大変喜ばしいことでした。当クラブも参加予定人数は多かったのですが、秋山会員がバイクによるひき逃げ事故で足の骨折で欠席するなど、若干欠席が目立ちましたことは残念でした。
又、次回からのIMは不確定である事も前回お話いたしましたが、ガバナーエレクトのお話では中止とは明確にお話ししておりませんでした。以上IM報告でした。

今年の会長新年挨拶でイギリス人が関与して家康が豊臣方に勝利したお話をしましたが、今回はそのイギリス人、ウィリアム・アダムスをBS歴史検証番組で丁度取り上げていましたのでお話させて頂きます。
番組内容とネットで調べた内容が若干ニュアンスが違っていましたが、ウィリアム・アダムスが家康に提供した情報によって、家康が天下統一できた歴史結果を考えるとキーマンであった事は間違い無かったといえるでしょう。
又、家康の度量の大きさと千里眼を伺え知ることができる。戦いに明け暮れた戦国時代にありながら、常に、国内だけでなく国外の情報にも関心を持っていた結果が二人を結びつけた縁であったと思います。
以下、ネットよりコピーペーストしました。

 

ウィリアム・アダムス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ウィリアム・アダムス(三浦按針)

生誕:1564年9月24日
イングランド王国・ケント州・ジリンガム

死没:1620年5月16日55歳
日本・肥前国平戸(現 長崎県平戸市)

職業:航海士・水先案内人・貿易家

配偶者:お雪(マリア)

 

ウィリアム・アダムス(William Adams, 1564年9月24日 – 1620年5月16日(元和6年4月24日))は、江戸時代初期に徳川家康に外交顧問として仕えたイングランド人航海士・水先案内人・貿易家。三浦 按針(みうら あんじん)の日本名でも知られる。

生涯

生い立ちと青年時代

イングランド南東部のケント州ジリンガムの生まれ。船員だった父親を亡くして故郷を後にし、12歳でロンドンのテムズ川北岸にあるライムハウスに移り、船大工の棟梁ニコラス・ディギンズに弟子入りする。造船術よりも航海術に興味を持ったアダムスは、1588年に奉公の年限を終えると同時に海軍に入り、フランシス・ドレークの指揮下にあった貨物補給船リチャード・ダフィールド号の船長としてアルマダの海戦に参加した。翌1589年にはメアリー・ハインと結婚し、娘デリヴァレンスと息子ジョンを儲けている。しかし、軍を離れてバーバリー商会ロンドン会社の航海士・船長として北方航路やアフリカへの航海で多忙だったアダムスは、ほとんど家に居つかなかったといわれている。

リーフデ号の航海
17世紀のエングレービング。左から右方向にフライデ・ボートスハップ号、トラウ号、ヘローフ号、リーフデ号とホープ号

航海で共に仕事をする中でオランダ人船員たちと交流を深めたアダムスは、ロッテルダムから極東を目指す航海のためにベテランの航海士を探しているという噂を聞きつけ、弟のトマスらと共にロッテルダムに渡り志願する。航海は5隻からなる船団で行われることになっていた。

  1. ホープ号(”希望”の意・旗艦)
  2. リーフデ号(”愛”の意)
  3. ヘローフ号(”信仰”の意・ロッテルダムに帰還した唯一の船)
  4. トラウ号(”忠誠”の意)
  5. フライデ・ボートスハップ号(”良い予兆”あるいは”陽気な使者”の意)

司令官のヤックス・マフはアダムスをホープ号の航海士として採用する。こうして1598年6月24日、船団はロッテルダム港を出航した。

しかし航海は惨憺たる有様で、マゼラン海峡を抜けるまでにはウィリアムとトマスの兄弟はリーフデ号に配置転換されていたが、トマスが最初乗船していたトラウ号は東インド諸島でポルトガルに、フライデ・ボートスハップ号はスペインに拿捕され、1隻はぐれたヘローフ号は続行を断念してロッテルダムに引き返した。生き残った2隻で太平洋を横断する途中、ホープ号も沈没してしまい、極東に到達するという目的を果たしたのはリーフデ号ただ1隻となった。その上、食糧補給のために寄港した先々で赤痢や壊血病が蔓延したり、インディオの襲撃に晒されたために次々と船員を失っていき、トマスもインディオに殺害されてしまう。こうして出航時に110人だった乗組員は、日本漂着までには24人に減っていた。

日本漂着、家康の引見
1707年の日本の地図と将軍との謁見の図

関ヶ原の戦いの約半年前の1600年4月29日(慶長5年3月16日)、リーフデ号は豊後臼杵の黒島に漂着した。自力では上陸できなかった乗組員は、臼杵城主太田一吉の出した小舟でようやく日本の土を踏んだ。太田は長崎奉行の寺沢広高に通報した。寺沢はアダムスらを拘束し、船内に積まれていた大砲や火縄銃、弾薬といった武器を没収したのち、大坂城の豊臣秀頼に指示を仰いだ。この間にイエズス会の宣教師たちが訪れ、オランダ人やイングランド人を即刻処刑するように要求している。

結局、五大老首座の徳川家康が指示し、重体で身動きの取れない船長ヤコブ・クワッケルナックに代わり、アダムスとヤン=ヨーステン・ファン・ローデンスタイン、メルキオール・ファン・サントフォールトらを大坂に護送させ、併せて船も回航させた。

5月12日(慶長5年3月30日)、家康は初めて彼らを引見する。イエズス会士の注進でリーフデ号を海賊船だと思い込んでいた家康だったが、路程や航海の目的、オランダやイングランドなどプロテスタント国とポルトガル・スペインらカトリック国との紛争を臆せず説明するアダムスとヤン=ヨーステンを気に入って誤解を解いた。しばらく乗組員たちを投獄したものの、執拗に処刑を要求する宣教師らを黙殺した家康は、幾度かにわたって引見を繰り返した後に釈放し、城地である江戸に招く。

三浦按針となる
アダムスが長崎平戸からロンドンの東インド会社本社へ宛てた手紙の一部。1613年12月1日付け。(大英図書館蔵)

アダムスが長崎平戸からロンドンの東インド会社本社へ宛てた手紙の一部。1613年12月1日付け。(大英図書館蔵) 江戸でのアダムスは帰国を願い出たが、叶うことはなかった。代わりに家康は米や俸給を与えて慰留し、外国使節との対面や外交交渉に際して通訳を任せたり、助言を求めたりした。またこの時期に、幾何学や数学、航海術などの知識を家康以下の側近に授けたとも言われている。帰国を諦めつつあったアダムスは、1602年頃に日本橋大伝馬町の名主で家康の御用商人でもあった馬込勘解由の娘、お雪(マリア)と結婚した。彼女との間には、息子ジョゼフと娘スザンナが生まれている。

やがて江戸湾に係留されていたリーフデ号が沈没すると、船大工としての経験を買われて、西洋式の帆船を建造することを要請される。永らく造船の現場から遠ざかっていたアダムスは、当初は固辞したものの受け入れざるを得なくなり、伊東に日本で初めての造船ドックを設けて80tの帆船を建造した。これが1604年(慶長9年)に完成すると、気をよくした家康は大型船の建造を指示、1607年には120tの船舶を完成させる(この船は1610年になって、房総の御宿海岸で遭難し地元民に救助された前フィリピン総督ロドリゴ・デ・ビベロに家康から貸し出され、サン・ブエナ・ベントゥーラ号(英語版)と名付けられた)。 この功績を賞した家康は、さらなる慰留の意味もあってアダムスを250石取りの旗本に取り立て、帯刀を許したのみならず相模国逸見(へみ)に采地も与えた。また、三浦按針(”按針”の名は、彼の職業である水先案内人の意。姓の”三浦”は領地のある三浦半島にちなむ)の名乗りを与えられ、異国人でありながら日本の武士として生きるという数奇な境遇を得たのである。のち、この所領は息子のジョゼフが相続し、三浦按針の名乗りもジョゼフに継承されている。

1613年に東インド会社のクローブ号が交易を求めて日本に来航した際、一行に付き添い、家康らとの謁見を実現させ、貿易を許可する朱印状を取りつけるなどの手助けをした。1614年のクローブ号帰還の際には、一緒に帰国できる許可が日英両方から出たが、同船司令官のジョン・セーリスと馬が合わず、帰国を見送った。セーリスは何事も日本式を強要するアダムズが気に入らず、アダムズはセーリスを生意気で無礼な青二才として嫌っていた。一行が去ったあとは、それまで手伝っていたオランダ商館より安い賃金だったが、母国イギリス商館の仕事を手伝った。

家康の死後

家康に信頼された按針だが、1616年(元和2年)4月に家康が亡くなり、跡を継いだ徳川秀忠をはじめ幕臣たちの方針で貿易を平戸のみに制限し鎖国体制を敷いたため、按針の立場は不遇となった。以降の按針の役目は天文官のみとなり、幕臣や次期将軍候補の徳川家光らに警戒されながら、按針は憂鬱な状態のまま、1620年5月16日(元和6年4月24日)に平戸で没した。55歳であった。

徳川家康がアダムスを外交顧問として雇用した理由

鈴木かほるによれば、徳川家康がウィリアム・アダムスを外交顧問として雇用した理由は、自領の関東浦賀湊にスペイン人鉱夫を招聘し、スペイン領メキシコで行われている画期的な金銀製錬法アマルガム法を導入するためであり、その交渉にアダムスをあたらせたという新説を提唱している[2][3]。その理由として、アダムスは家康と謁見した際、日本との通商を請うたにもかかわらず、オランダとの通商が成立したのはアダムスの日本来航から9年後の慶長14年(1609年)7月、アダムスの母国イギリスとは慶長18年(1613年)8月であり、しかも、スペインのように家康からの働きかけではなく、両国の東インド会社の使節が派遣されアダムスの斡旋により成立した、いわば家康にとっては受け身であること、家康が浦賀湊の入港を指定したのはスペイン商船のみであること、そのために三浦郡浦賀邸と逸見村の采地を与えたなどをその理由に挙げている[4]。浦賀湊にスペイン商船が入港する都度、西国から商人が浦賀に急行し、浦賀は国際貿易港として賑わい世界にその名を轟かせた。ウィリアム・アダムスのマニラ(スペイン領)交渉により浦賀フランシスコ修道院が建立され、江戸の修道院とともに関東におけるキリスト教伝播の起点となった。ウィリアム・アダムスが外交顧問としてその本領を発揮したのはこのマニラ渡海であるという。

記念する場所・行事など

平戸
平戸市木引田町にある「三浦按針終焉の地」の碑
平戸市崎方公園にある「三浦按針之墓」

按針は1609年、平戸のイギリス商館開設に関わった。三浦按針終焉の地(平戸市木引田町431番地)には碑が立つ。

三浦按針は、平戸のイギリス商館付近にあった外国人墓地に葬られた[6]。しかしその後、キリスト教弾圧の中で平戸商館とともに外国人墓地の破壊が行われたため、埋葬地の正確な場所ははっきりしない。1931年、崎方にほど近い三浦家で「安針墓」として伝えられてきた墓から、遺骨と遺品の一部が発掘される。三浦家は通詞の末裔であり、ひそかに按針の遺骨の一部をもらいうけて埋葬したという口伝があった。

1954年、イギリス商館跡近くの崎方公園(平戸市大久保町)に「三浦按針の墓」が建立された。1964年、アダムスの生誕400年に際し、イングランドの妻の墓地より小石を取り寄せ、夫婦塚とした[7]。毎年5月下旬には墓前で「按針忌」が催される。

 
 

幹事報告

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幹事:小泉豊

 

委員会報告等

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インターアクト・RYLA委員会

委員長:舟橋金之介

次年度IA年次大会の件

次年度の年次大会ホスト校引受打診のために、2/25(木)に齊藤青少年奉仕委員長と共に桐蔭学園高校を訪問しました。

IA顧問の石田先生に訪問主旨をあらためてご説明の後、校長代理・高校部長の田中實先生をご紹介いただき、14年ぶりにホスト校引受並びに当日の教室・ホールなどの借用等をご依頼した所、事前お願いベースでの快諾を得ました。

後日次期地区IA委員長と提唱RC会長の両名が学校側代表者に対し、正式ご依頼のご挨拶を経て、次年度は当クラブが第49回インターアクト年次大会の提唱ロータリークラブとなります。

当クラブの次年度会長、幹事をはじめ会員各位の積極的ご支援・ご協力をお願い致します。

 

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2016-17年度地区協議会について

次年度幹事:井上幸治

 

出席報告

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出席委員長:武藤泰典

 
今回出席状況
  在籍会員 出席 MU済 ビジター ゲスト
会員総数 29 21 2 0 3
(内 出席免除会員数) 5 3
ホームクラブ出席率 外部参加者
  会員数 出席率 正会員
出席
免除会員
出席
Make-up
会員
ビジター ゲスト
今回 29 82.14 % 18 3 2 0 3
前回補正後 29 81.48 % 18 3 1 4 1
前々回補正後 29 85.71 % 20 4 0 2 0
 

スマイルレポート

 

スマイル 21 件

 

ニコニコ

露木健造 会長 green letter 小西さつき様 下山俊子様 平沢由美様 ようこそ。本日の卓話よろしくお願いします。
小泉豊 幹事 green letter 小西様 下山様 平沢様 本日の卓話よろしくお願いいたします。
浅井優子 会員 green letter 小西様、下山様、平沢様、本日はようこそおいで下さいました。小西様、本日の卓話お願い致します。
飯田正男 会員 green letter 小西さつき様、下山俊子様、平沢由美様、ようこそいらっしゃいませ。
井藤昭宏 会員 green letter 小西様、下山様、平沢様 本日の卓話宜しくお願い致します。
井上幸治 会員 先日のIM欠席 申し訳ございませんでした。Green letter 小西さつき様、下山俊子様、平沢由美様、ようこそ❢本日卓話よろしくお願い致します。
大地哲郎 会員 green letter 小西様、下山様、平沢様 本日の卓話よろしくお願い致します。
加藤喜夫 会員 久しぶりです。他に言葉がございません。
河原裕典 会員 小西様、下山様、平沢様 ようこそおいで下さいました。小西様 卓話よろしくお願いします。
北原弘文 会員 green letter の小西様、下山様、平沢様ようこそいらっしゃいました。
工藤公仁 会員 小西様、下山様、平沢様、ようこそおいでくださいました。
齊藤清紀 会員 green letter 小西様、下山様、平沢様、本日の卓話、宜しくお願い致します。
田中孝 会員 green letter の小西さつき様、下山俊子様、平沢由美様、ようこそおいで下さいました。卓話よろしくお願い致します。
肥塚俊成 会員 小西様、下山様、平沢様 ようこそお越しくださいました。卓話もよろしくお願いいたします。
日向誓子 会員 小西様、下山様、平沢様、ようこそお越し下さいました。ごゆっくりお過し下さい。
舟橋金之介 会員 ・green letter 小西さつき様 下山俊子様 平沢由美様 ようこそいらっしゃいました。小西様、本日の卓話宜しくお願い致します。・妻への誕生日祝い有り難う御座居ました。
武藤泰典 会員 green letter 小西様、下山様、平沢様、ようこそいらっしゃいました。本日の卓話よろしくお願いいたします。
村松勇治 会員 葬儀に、ロータリー名の生花をいただき、露木会長 ありがとうございました。
餅田実 会員 green letterの小西様、下山様、平沢様 ようこそ。よろしくご指導のほど お願いいたします。
若山誉 会員 green letter 小西様、下山様、平沢様 本日はようこそいらっしゃいました。卓話よろしくお願いします。
清水厳 会員 小西様、卓話よろしくお願い致します。green letter様 ようこそいらっしゃいました。
 

卓話

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卓話者紹介

北原弘文 プログラム委員長

 

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ペットと健康

小西さつき 様
(green letter)

 
 

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