第2013回例会 2011年9月14日(水)
例会場:なごみ邸 時間:18:30~19:30
司会 | 高嶋淳二 SAA |
斉唱 | 『我等の生業』 |
点鐘 | 北原弘文 会長 |
会長報告 | 北原弘文 会長 |
幹事報告 | 下中英輝 幹事 |
卓話 | 米山奨学生 朝魯門君 |
誕生祝 | 該当者無し |
ゲスト | 米山奨学生 朝魯門君 |
ビジター | 無し |
出席報告 | 田中孝 委員長 |
発行者 | 工藤公仁 会報委員長 |
会長報告
会長:北原弘文
前回まで、ロータリーの基本理念についてお話いたしましたが、ネットでいろいろ探していたら、アーサー・フレデリック・シェルドンの著書から次の文面を見つけました。職業奉仕について絵を使って説明しています。
図Aでは、外側の円は人体を表します。次の円は動脈の血液の流れを表しますが、中央の円は心臓を表します。血液を送れなくなると、いずれ近いうち体が病気になることや、心臓の鼓動が止まると、体が死ぬことを誰でも知っています。
図Bでは、外側の円は会社全体や事業を表します。会社とは、協同事業または個人が所有している事業です。次の円は利益が上がる販売やサービスを表します。利益が上がる販売やサービスが滞れば、いずれ近いうちに経済という体は病気になります。
そして、図Bの中央の円は奉仕の原則を表します。
利益をあげるという考え方からは、事業の絶対的基本となる奉仕が滞れば、事業はいずれ行き詰るでしょう。
経営学は奉仕と保全の学問です。最も多く奉仕し保全した人が、最も長い間生き残って、最も多くの利益を得るのです。利己主義、与えることなしに得ようという試みは自滅ですが、他人への奉仕は自己防衛です。他人への奉仕は賢明な利己心です。
President KITAの豆知識 その5
例会の始まりに毎回点鐘をいたしますが、これは帆船時代の決まり事から来ているようです。帆船には一点鐘~八点鐘まであります。一点鐘は船乗りが4時間毎に当直する際に30分に1回鳴らした号鐘のことで「一点鐘」は当直の始まり、すなわち何かを始める「初心」という意味が込められております。
中国のことわざ「長江の流れも一滴の雫から始まる」とあります。「点鐘一滴」初心忘るべからず。我々も一人一人の集まりが大きな力になっているのだと感じます。例会の始まりに鳴らす鐘の説明としては、この諺を引用した説明ほど最適なものはないのではないでしょうか? 他の団体でも、鐘を鳴らすところでは、この説明に辿り着いた方がおられました。私は某ロータリークラブのHPより引用させていただいています。アメリカ発祥なのですから、中国の諺を用いているうちは本来の意味ではないかもしれません。でも、上記の意識をもって始まりの鐘を鳴らすと、なんだか今までよりも良い気持ちで例会に取組めそうだから不思議ですね。
幹事報告
委員会報告等
委員会報告
米山学友会の講演会のお知らせ
-[米山カウンセラー:田中孝]
米山学友会(米山奨学生とその卒業生の会)から講演会の案内がきましたので、お知らせします。
- 日時:2011年10月1日 17時30分~19時(17時受付開始)
- 場所:かながわサポートセンター会議室402
(横浜駅西口。神奈川区鶴屋町2-24-2 かながわ県民センター内) - 講演:学友の ジギャン・クマル・タパさんと ヴ・フーオン・レ・ビックさんによる講演
(講演に先立ち、総会が行われます。)
ロータリアンの皆様も是非ご自由にご参加下さい、とのことです。外国の若い人たちに接するよい機会です。
奮ってご参加下さい。
社会奉仕委員会・野球同好会
-[委員長:小泉豊]
この度、社会奉仕委員会の人道的補助金申請が通り、195,000円の予算が出来ました。
予定通り被災地支援の軽自動車贈呈のため使わせていただきたいと存じます。
皆様にはいろいろご支援ご協力をいただきありがとうございました。
野球同好会から、神奈川県ロータリー野球連盟理事会に北原会長と出席して参りました。
今年の大会日程は10月21日(金)です。
すでに都合のつかない方が数名おりますので、他の皆様は何とか都合を付けていただき
ご参加いただけます様、お願い申し上げます。
親睦活動委員会 -[委員長:井藤昭宏]
インターアクト委員会 -[委員長:荒井ゆかり]
プログラム委員会 -[委員長:露木健造]
米山奨学委員会 -[委員長:大地哲郎]
出席報告 - [出席委員長:田中孝]
会員総数39名
出席率61%:前回補正後76%:前々回補正後100%
スマイルレポート
スマイル 7件
ニコニコ
- 北原弘文会長
朝魯門君、今日のお話楽しみにしています。
- 餅田 実会員
チョロモン君ようこそ!卓話よろしくお願いします。
- 田中孝会員
チョロモン君、卓話よろしくお願いします。 楽しみにしております。
- 天野正昭会員
チョロモン君 今日の卓話よろしくお願いします。
- 小泉豊会員
チョロモン君、卓話よろしくお願いします。社会奉仕委員の人道的支援金が 皆様のお蔭で 195000円 予算が認定されました。予定通り 被災地支援に使わせて頂きます。ありがとうございます。
- 竹内建会員
チョロモン ようこそ 卓話お願いします。妻の誕生日プレゼントありがとうございます。
- 荒井ゆかり会員
今日早く帰ります。すみません。
お誕生日祝い
会員誕生祝 該当者無し
パートナー誕生祝
竹内建会員パートナー・美千留様
卓話
米山奨学生 朝魯門君
日本留学まで
ワタシはなぜ日本に留学したのか、留学してどこがかわったのか。今回はワタシについてお話をしたいと思います。
人々はなにかをはなしだすときに、ほとんどそのヒトの記憶からはじまることがおおい。それはなぜだろうとワタシは最近よくかんがえるようになりました。そしてワタシはどこからきて、どこへむかうのか。留学によって自分を探すことに導かれた。そこには子供のころのワタシ、少年時代のワタシ、大学生のワタシ、そして留学生のワタシがあります。トータルで30年間の記憶しかないけれど、その間ワタシは成長してきたのかなと思います。
ワタシが生まれた故郷 (画像クリックで拡大表示)
祖先の痕跡をフンヌ(2200年前の匈奴時代)まで遡ることが可能であり、考古学的に土葬儀式やお墓に関する研究で明らかになってきた。800年前のテムジン・チンギスハーンがモンゴル帝国を建てた時期からモンゴル人として知られたのであった。ワタシの祖父は兄弟16人もいたそうで、父は九人兄弟の上から四番目の次男、母は八人兄弟の長女。二人の間からワタシは三人兄弟の長男として生まれ、五歳まで母乳を飲み続けていた子でした。
- 生まれ
1978年旧暦10月15日(西暦11月15日)の寒い朝、空に金星ばかりが輝いていた最も暗いときに生まれたそうです。もちろん電気もなければ、医者もいなかった当時お産婆様のお陰で無事生まれました。モンゴル人は生まれた赤ちゃんの胎盤を土に埋める習慣があって、それは父が行う。そのため外に出た父は真っ暗空に高く輝く金星を見つめたそうです。その星の名前はモンゴル語で「チョロモン」と言います。そして金星のように暗い中でも輝き、迷った人を導いてくれる金星の名前をワタシにつけたのだそうです。 - 名前の意味:シバゴチン・チョロモン
モンゴル語では鳥類をシバゴといいます。後ろに接尾語チンをつけてシバゴを飼う人の意味を表す。つまり鷹狩り部族を意味する。またシバゴチン部族は非常に勇敢で、チンギスハーンの信頼する騎兵隊として戦場に獲物を攻撃する鷹のように勇猛に戦う部族である。しかし、現在モンゴル人は歴史的、政治的、文化的、教育的な様々な理由により、このような伝統的な名字を使えないことがおおい。そして正式な登録には非常に少なく、ペンネームの代わりに使うことも目立ちます。 - 受けた教育
私の母語はモンゴル語であります。私には幼稚園の経験はなく、7歳になって直接小学一年生になりました。小学三年生から漢語を必修科目として教えられ、10歳から家を離れ、学校の寮生活を始まった。中学を卒業するまで都市を見たことなく、三年間トウモロコシ、三年間粟飯をほとんど毎日食べながら勉強に励んでいました。高校は盟の比較的有名なモンゴル族高校に入り、初デモを経験した。大学は内モンゴルの首府フフホト市にある内モンゴル大学に入学した。 - 留学
2003年4月来日し、はじめは東京学芸大学(研究生)に在籍していた。そして東京外国語大学大学院から修士の学位を取得し、桐蔭横浜大学大学院法学研究科(博士2年)に在籍しています。外交や国際関係の研究に取り組んでいる。
モンゴル人の日本留学
1902年、内モンゴル・ハラチン右翼旗のグンセンノロブ王が旗の近代的なモンゴル学校に日本人講師河原操子を招いて、モンゴルの子供に日本の近代的な教育を行った。その生徒たちは1905年に始めて日本留学を果し、モンゴル人の日本留学の道を開けた。それから有名な考古学者鳥居龍蔵夫妻もモンゴルに赴任し、数多くの日本留学生を育てた。1920年代に大本教の教祖出口王仁三郎がモンゴルに行き、帰りに自らモンゴルの子供九人を連れてきて、個人的に支え、教育させた。1930年代に満洲国建国され内モンゴルの東部が満洲国に組み込まれた。興安四省から多くのモンゴル人が日本留学し、大きな流れを作ったのである。内モンゴル西部では蒙彊政権が主権を持ち、チンギスハーンの直系の子孫であるデムチュグドンロブ王が、西モンゴルから日本に留学生を派遣していた。しかし、1945年に日本は敗戦し、モンゴル人の日本留学の流れが中断された。戦後一部のモンゴル人が日本に帰化し故郷に帰れなかったが、帰った留学生たちはのちの政治運動に巻き込まれ、特に文化大革命(1966~1976)の期間中に大量に粛清され、迫害を受けた。そして、1980年代末頃、中国の改革開放政策が打ち出され、海外に自由に行けることが可能になった。内モンゴルでも大学を卒業した学生たちは留学を目指す者も増えて、1990年代から留日ブームを作ったのである。大学生の就職難なども理由で、海外を目指す学生も増えてきた。ワタシも例外なくその大きな流れに合流した一人である。
来日後異文化理解のために様々な努力をし、金と時間がないため日本語を独学し、日本の文化を深く理解するため自分自身を限りなく理解必要性を認識した。自分を探すようになり、留学はワタシに自分に近づく道に導いた。つまり自分をもっと知ることで異文化をより理解し、他者を理解することができた。
結び
「愛は可哀相と思うことから始まる」誰かのために強い見方になれることはもはや人間の本性ではないか。真心から弱者を助けることから真の世界の平和が生まれることを信じたい。その大きな可能性を啓くことは、ロータリー精神の一つではないかと考える。