会報 第2345回例会 2018年10月03日


第2345回例会 2018年10月3日(水)

例会場:青葉台フォーラム

時間:12:30~13:30

会長:井上幸治

幹事:舟橋金之介

クラブ研修・広報・会報委員長:秋山光正

司会:露木健造 SAA

点鐘:井上幸治 会長

 

卓話


『人生の岐路』 鶴岡武 会員


斉唱


『君が代』

『奉仕の理想』

 

誕生祝


 


ビジター


三谷英弘 会員(東京城南RC)


ゲスト


該当者無し

 

目次

お祝い・表彰・挨拶等

ゲスト及びビジター紹介

ゲスト紹介

該当者無し

 

ビジター紹介

三谷英弘 会員
(東京城南RC)

 

お祝い

会員誕生祝

該当者欠席

 

パートナー誕生祝

該当者無し

 

会長報告

井上幸治 会長

皆さん今日は 先日の台風 風がすごかったですが被害はありませんでしたか?私の実家は植木屋なのですが、朝から電話がひっきりなしだったようです。
だいぶ庭木が倒れたみたいですね。
今日はゲストに衆議院議員のみたに様においで頂いております。私の認識に間違いなければ、前回の選挙の時にわざわざ前選挙区の世田谷のお仲間が手伝いに駆けつけてきてくれていたと聞いています。私は基本的に政治家の選挙公約は、ほとんど信じていないのですが、そういうお仲間がいるという事だけで、お人柄 そして人間性がわかるような気がいたします。そのようなお付き合い是非大切にしていただきたいと思います。しかし、どんなにきれいごとを言っても、政治家は選挙に当選しなければなりません。ここにも世田谷のお仲間に負けないくらいの28名がおります。そして、その後ろには多くの有権者がいます。ぜひ、私たちのお仲間になっていただきたいと心よりお願いいたします。 一刻も早いご入会28名全員でお待ちしております。

今週は、ノーベル医学生理学賞に京都大学教授本庶佑氏が受賞されたというニュースが飛び込んできました。同じ日本人として誇らしく思います。受賞内容については、皆さんすでにテレビや新聞などでご承知でしょうし、細かいことについては、大地先生や大野会員に別の機会にお話を伺えればと思います。
テレビでの会見を見て、強くお話されていたのは「真理の探究」ということだと思います。何か知りたいという好奇心を持ち、不思議だなという心を持ち、自分の目で見て納得するまで、たとえ教科書に書いてあることであっても簡単には信じないということだそうです。
凡人である私などは、新聞や本に書いてあることなど鵜吞みにしてしまう傾向があります。真実かどうか それを見極める目が必要なのですね

本庶教授は以前IPS細胞で同じくノーベル賞を受賞された山中教授とも親交があるようでゴルフにもご一緒されているようです。ゴルフに対しても決していい加減にせず、真摯に向き合っているそうです。
お二人が、口をそろえて話されていることに研究費が年々削減されていて、若い研究者がなかなか育ちにくいということを述べておられます。山中教授などは、今の活動の半分は寄付金集めだと何かで読んだことがあります。
今の大学や研究機関では少ない予算でやりくりするために、一番多くかかる人件費をカットせざるを得ない状況だそうです。必然的に若い研究者のポストがなくなってしまいます。現実問題として、今の学生で大学院の博士課程に進む者は減ってきているそうで、国際的に論文の発表もかなり少なくなっているそうです。今の日本にはまだ多くのノーベル賞を取れそうな方が控えているようですが、10年後 20年後は果たしてどうなっているのかわかりません。
今のうちに何とかしないと、国全体の国力の問題にかかわってしまいます。
目の前の問題を解決しつつ、将来起こるであろうことに今対処していかなければ大変なことになってしまいます。
会社もそうですし、我々のロータリークラブも例外ではありません。
もう一度ここで将来のために今を見つめなおしていきたいと思います。

 

幹事報告

舟橋金之介 幹事

下記の通りご連絡致します。

1.クラブ連絡

  1. 9/29(土)青少年交換受入学生のオリエンテーションが鶴見の常倫寺で開催されました。
    当クラブからは青少年交換留学生のLauren、齊藤ホストファーザー、そして当方が参加。
    8人の受入学生による出身国紹介のプレゼンテーションを聴いて参りました。(ベルギー・ブラジル・タイ・ドイツ・フランス・台湾・アメリカ・エクアドル)
    Laurenは、出身地のウィスコンシン州について来日2か月乍ら全て日本語で発表してくれました。とても立派な発表でした。
    聞くところによりますと、ホストファミリーの齊藤様の奥様が前夜12時までサポートして下さったそうです。
  2. 10月10日(水) 金子ガバナー公式訪問(11:30ガバナー補佐と下打合せ。11:40~12:10ガバナーと懇談。ガバナー卓話。)
  3. 10月10日(水) パスト会長会議(出席予定者:パスト会長、会長、会長エレクト、幹事)
  4. 10月21日(日) 緑区民まつり「こども動物園」

2.地区会議予定

  1. 10月4日(木) 2018学年度米山カウンセラー研修会(出席予定者:内倉青少年奉仕委員長)
  2. 10月9日(火) クラブ 奉仕活動部門委員長会議(出席予定者:下中クラブ奉仕委員長)
  3. 10月13日(土) 米山学友会総会
 

委員会報告等

野球同好会

武藤泰典 会員

 

出席報告

北原弘文 出席副委員長

 
今回出席状況
  在籍会員 出席 MU済 ビジター ゲスト
会員総数 28 22 0 1 0
(内 出席免除会員数) 5 3
 
ホームクラブ出席率 外部参加者
  会員数
(男/女)
出席率 正会員
出席
免除会員
出席
Make-up
会員
ビジター ゲスト
今回 28 (25/3) 84.62 % 19 3 0 1 0
前回補正後 28 (25/3) 88.46 % 19 3 1 0 0
前々回補正後 28 (25/3) 69.23 % 15 3 0 1 1
 

スマイルレポート

スマイル 20 件

ニコニコ

井上幸治 会長 衆議院議員三谷英弘様、やっと来て下さいましたね。長らくお待ちしておりました。早く我々の仲間になりましょう!鶴岡会員、本日の卓話とても楽しみにしております。よろしくお願い致します。
舟橋金之介 幹事 東京城南RC三谷英弘様、ようこそいらっしゃいました。どうぞゆっくりお過ごし下さい。鶴岡様、本日の卓話「人生の岐路」楽しみに致しております。
秋山光正 会員 三谷英弘様、いらっしゃいませ。鶴岡会員、卓話よろしくお願いします。
浅井優子 会員 三谷様、本日はようこそおいで下さいました。鶴岡会員、本日の卓話とても楽しみにしています。
井藤昭宏 会員 三谷様ようこそ、ゆっくりお過ごし下さい。鶴岡様、卓話よろしくお願い申し上げます。
内倉和子 会員 東京城南RC三谷様、ようこそいらっしゃいました。どうぞごゆっくりなさって下さい。卓話、鶴岡会員よろしくお願い致します。
大地哲郎 会員 本庶佑先生ノーベル医学賞おめでとうございます。三谷英弘様ようこそいらっしゃいました。早い入会をお待ちしています。鶴岡様、本日の卓話楽しみにしています。
河原裕典 会員 三谷英弘様、ようこそおいで下さいました。ごゆっくりおすごし下さい。鶴岡さん卓話楽しみです。よろしくお願い致します。
北原弘文 会員 三谷様、welcome to Yokohama-Midori♡
小泉豊 会員 三谷様、入会お待ちいたしております。鶴岡様、卓話楽しみにしております。
齊藤清紀 会員 鶴岡会員、本日の卓話宜しくお願い致します。三谷様、ようこそいらっしゃいました。ごゆっくりお過ごし下さい。
清水厳 会員 鶴岡様、本日の卓話よろしくお願い致します。
清水裕之 会員 三谷様ようこそいらっしゃいました。鶴岡パスト会員、本日の卓話よろしくお願い致します。
田中孝 会員 東京城南RC三谷英弘様、ようこそおいで下さいました。鶴岡会員、本日の卓話楽しみです。よろしくお願い致します。
露木健造 会員 三谷氏ようこそ、「人生の岐路」鶴岡武会員卓話宜しくお願いします。
鶴岡武 会員 久しぶりの卓話です。一生懸命やりますので宜しく。東京城南RC三谷様ようこそ。ごゆっくりしていって下さい。
日向誓子 会員 三谷様、ようこそいらっしゃいました。ごゆっくりなさって下さい。鶴岡様、本日の卓話楽しみにしております。
武藤泰典 会員 東京城南RC三谷様、ようこそいらっしゃいました。ごゆっくりお過ごし下さい。
村松勇治 会員 三谷議員入会楽しみにしております。鶴岡先輩、卓話よろしくお願いします。
安田有利 会員 鶴岡さん、卓話楽しみにしています。
 

卓話

人生の岐路

鶴岡武 会員

人はいろいろの岐路を経て人生を送ってゆく。
その人に重大な影響を及ぼす因子や、本人の意思で変更できる軽微な場合もある。ここで自分の例を、過去を振り返り82年間の岐路について、思い出し記録してみた。尚、事前に鶴岡家の変動について説明しておく。

 

部落で2番目の資産家で、山、土地は勿論土蔵も二軒長屋もあった。しかし祖父(父の長兄で村の助役も務め、子がなく父が養子となる)が昭和の初めに、株で大損をし家屋敷すべてをなくし、我々は乞食となった。しかし父の母方実家がすべて買い戻してくれ当家の借金となった。父は一家を上げて東京大森の親戚料亭「沢田や」で働き、7年で、すべての借金を返した。したがって、父が新鶴岡家の第1代目になる。

祖父の代で前の鶴岡家は消滅している。ただし古文書で先祖が応永15年(1408)に甲斐国主、武田安芸守信光公(信玄の4代前)から今の三柏家紋を貰ったと家歴にある。尚先祖の名は小沢善右衛門重清であった。話は戻り、先ず第1は東京の大森で働いていた我が家は早めに田舎に引っ越し、戦争の被害は皆無であった。勿論木更津に家屋敷と田畑があり他家と異なり、東京の出稼ぎを止め元に戻っただけであるが、今少し遅れたら、ひどい空襲で全員無事であったか判らず、重大な岐路である。

又自分は家族より数年早く、田舎の祖父母のところに、一人で移り暮らしていた。理由は当時配給制で物資不足が著しく東京の食事がまずく、祖父母のところに移住し、近所の人に、親元から一人離れ変な子だと思われていたらしい。昭和17年に国民学校1年から入学、以後疎開児童にあらず威張っていた。ただし岐路とは言い難し。

さて自分には10歳年上の兄がおり、東京大森では日立製作所の航空機エンジン工場で働いていた。空襲が激しくなってからは日立千葉蘇我工場に転勤、同じ仕事をしていた。同級生は皆軍隊に召集され多くが戦死したが、兄は軍需工場勤務、特に航空機工場のため兵役免除であった。終戦後は家督を継ぎ農業に従事した。
仮に兄が召集され不幸な目に合っていれば、自分は大学どころか農業の後継ぎと考えられ、大きな人生の岐路であったと思う。

高校での受験勉強は文系が対象であったが3年になって、親から理系で自宅から通学できる学校を選べと言われ、千葉工大の金属工学科に入学した。1年位自宅から通学したが、かなり大変で以後習志野の親戚に泊まり自炊生活を始めた。
この理系の選択が無ければ今何の商売をしていたか?大きな岐路であった。

又田舎の家はかなりの山を保有し、竹山も多かった。当時まだプラスチックがなく、竹が多く使われており高値で販売され、自分の大学費用にかなり貢献した。その後プラスチックの時代になると竹の値段は激減し、自分は良い時期に大学で学び、運のよい岐路であった。大学3年次、西千葉の東大生産技術研究所(今は東京に移転)に実験用1トン溶鉱炉があり、金森教授の研究室で製鉄時脱Cr実験をしており、操業は30日連続で実施され、八幡製鉄(富士と合弁前)から職長と現場のベテラン2名が参加、工員は学生(東大、東工大、秋田大、千葉工大の金属科)24名をアルバイトに使い、3交代に分け、各班に助教授と助手が加わり操業をした。何しろ学生のためトラブルも多かった。

取り敢えず溶鉱炉操業を経験でき、製鉄精錬に興味を持った。4年次になると卒業論文が始まり、学生の半数が学外の研究所等へ、残りは学内にて論文作成をする。自分は当然第1希望を東大生研にし、第2希望を学内のレアーメタル精錬にしたところ、生研は落とされ、学内の第2希望にされ、がっくり。どうも希望者が少なく自分を入れたらしい。

ところが更に驚いたのには、4月の初めに卒論担当の教授に呼ばれ、君の卒論は吉田工業(YKK)委託研究とする。ついては富山の黒部工場が就職先と告げられびっくり。結局東京で吉田社長との食事が就職試験でした。学校では自分が就職第1号でした。

ちなみに、東大生研での3人の卒論組の就職先は三井物産、日野自動車、関東製鋼で誰も溶鉱炉のある会社には入社せず、八幡製鉄には別の同級生が就職した。さて、5年間黒部で働き多くの富山での良い経験が出来、以上重大な人生の岐路になった。

 

 

当時の思い出に、正月独身寮に社長が来られ、曰く、会社はイノベーションを駆使、付加価値のある製品を販売し、多くの利益を上げ、社員に還元、税金を払い、株主配当をし、余った金を次の利益追求に投資することを「善の循環」と述べられ、今でも自分は本件を使わしてもらっているが、簡単に非ず。ちなみに当時最大ボーナス、11ケ月分を貰った。

逆の例で自分が独身寮の寮長時代、工場長(吉田3兄弟の長兄)から寮歌作成を命じられ、作曲は寮番の子息が芸大卒で依頼し、作詞をその友人の富山新聞編集部長が担当され、立派な寮歌が出来、工場長に報告時、歌詞の一部変更を言われびっくり、案の定編集部長は激怒、間に入り酷い目にあった。

又毎年50名以上の新人社員が日本中の大学から入社、勝手な事ばかり言い、苦労した。金沢大、富山大、東工大、早稲田、慶応、外語大、繊維大、等、各地の大学から来、競争率20倍と聞き、もし受験したら?自分はその後も含め一生涯入社試験を受けた事はない。
いずれにしろ大きな分岐点でした。

6年後YKKを退社し、大学教授の紹介で住友系東京タングステンKKに入り、タングステンの研究をしたが興味がなく、アジア商運KK(現アジア物性材料KK)に移り本格的にレアーメタルの精錬を始める。ここも大きな分岐点である。

先ずセレン整流器版の回収で、セレン、アルミ、カドミ、錫等の回収でセレンは真空蒸留、カドミも同、錫は電解らで回収、アルミは再生塊とした。蛍光体工場の回収作業ではイットリューム、イウロピューム、カドミ、タングステン、リチューム、ヴァナヂューム、酸化ゲルマ、等の回収。等が暫く続いた。

ラッピング廃材からの金の回収が数年続き全体で200キロほどの回収をした事もある。
先のセレン整流器廃板や工程不良品を国内はもとより世界各地から輸入し、その量は莫大であった。コマーシャル品として市場で売却したり、高純度にしてもとへ返却もした。

しかしすべてシルコンに切り替わり、我々の回収業は当然なくなり、会社の業績は最悪となり社員の昇給も出来ず、その上社長が癌で他界されてしまい、退職する社員も続出、ひどい状態に陥った。故社長の遺言を顧問の先生が報告、鶴岡が社長、この場で簡単には社長を引き継げず、失敗したら全財産もなくなり、家族は大反対だった。

友人や知人に聞いたり、最終的には横浜市の中小企業指導センターに相談したところ、全資産の持参指示があり、不動産が多く担保物件があり、社長をやれとの指示でセンターで全面的に応援することで、昭和55年自分が社長を引き継いだ。会社の当座凍結で社員の給与が出せず、故人の奥さんが現金を出してくれ助かった。
ここは自分にとって人生最大の分岐点であった。

業績の方も複写機にセレン合金が使われだしその方面の営業に力を入れだした。例えばY電子KKは高価な石英アンプルにセレン合金5Kを入れ、高温処理後急冷する方法で高コストとなり、当社に泣きついてきた。我々はF電機との技術提携で簡単に50~100キロロットが出来、沢山の受注を得た。

ヒ素セレン合金も石英装置で大量生産ができ、業績は徐々に回復した。一時20トン/月、を超える生産に達した。社長引き継ぎの分岐点とセレン合金の開発分岐点が重なり、すべて好転した。営業のK君の友人が東北リコーに居り、そこから取引が始まり、国内及び欧米のリコーの感材セレンは全て当社品となり、さらい韓国リコーも客先となる大きな分岐点となった。国内はもとより、世界のメイカーにも輸出し会社の業績は急拡大した。

この状態が20年間あまり継続、会社創立以来の分岐点になった。木造工場を全て鉄筋の高層工場にしたり、社員も集まりだし、博士号を取るものも出た。複写機用のセレン合金は会社を一変させ、鉄筋の高層事務所も完成した。兎に角セレン感光材は会社を激変させた。しかし好事は持続せず、セレンに代わって有機物感光体即ち、OPCガ出始め、セレンは減少してきた。

ところが、大学の一年後輩がトーソーKKに居り、彼との接触でITO(In2O3+SnO2)が出来、日興でも同作業が始まり、設備投資とインジュームの大量生産が始まった。
これも大きな分岐点であった。

その後青山学院大の国岡先生や後輩の中田さんの援助もあり薄膜太陽電池市場が当社の主力品なのも大きな分岐点である。将来代替品が出る可能性があり、今から新商品開発心掛けないと大変である。
要は大学教授、客先、先輩、後輩、知人らから将来の新商品を考えないと先細りになり、営業と技術の能力になる。

又以前会社で大事故を発生、場合によってはここを追い出される心配があり、第2工場検討時、顧問の先生から横浜の根岸工場団地に空きがあると聞き、検討したが単価が高く中止した。又相模原で新工場団地募集があったが化学工場は対象外であった。

大地震時離れた土地が望ましいと、秩父市に適当な用地を見つけ、交渉を考えたら既に売れてしまった。その後種々検討の結果いわき工場となった。
これらも大きな分岐点です。
平成20年第3代水野社長に引き継ぎ、自分は会長となりこれが最後の分岐点になる。

以上適当に分岐点を選んでみたが正直何が幸いするかわからない。会社業績も順調で、48億円の繰越利益があり、今まで約40年間黒字で、毎年億単位の税金を支払ってきた。
土地の購入、設備投資は全て自前で、勿論借入金は皆無です。やっと善の循環になったか?
当社も今後50年~100年続いてもらいたい。

 
 

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