会報 第2467回例会 2021年10月 6日

第2467回例会 会報
2021年10月6日(水)

例会場:青葉台フォーラム / 時間:12:30~13:30

会長:清水裕之 / 幹事:北原弘文
司会:加藤浩介 SAA / 点鐘:清水裕之 会長

≪発行 クラブ研修・広報・会報委員長:原野由紀≫


卓話

イニシエーションスピーチ

松尾伸治 会員


ゲスト


該当者無し

ビジター


該当者無し

会員誕生祝


該当者欠席


 

斉唱

『君が代』

『奉仕の理想』

 

紹介・挨拶・お祝い・表彰等

ゲスト紹介

該当者無し

 

 

ビジター紹介

該当者無し

 

 

会員誕生祝

該当者欠席

オンライン例会紹介済会員 再紹介

加藤喜夫 会員
松尾伸治 会員
森一誠 会員
篠田正道 会員

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パートナー誕生祝

田中 孝 会員・パートナー 幸 様

オンライン例会紹介済 再紹介

露木健造 会員・パートナー 知子 様
三谷英弘 会員・パートナー 佳子 様
河原裕典 会員・パートナー 好美 様

 

会長報告

清水裕之 会長

昨夜うれしいニュースが飛び込んできました。ノーベル物理学賞にプリンストン大学、上級研究員の真鍋淑郎さんが選ばれました。地球の気候変動予測の道を開いた功績に対してのものです。『気候学』分野での物理学賞受賞は初めてのこととなります。

さて、私は個人的に、日本人で最初にノーベル賞を取る資格を持っていたのは、北里柴三郎だと思っています。

今日は8月25日の会長報告でも簡単に触れましたが、ノーベル賞を受賞できなかった北里柴三郎についてお話したいと思います。

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北里柴三郎は、「日本の細菌学の父」であり、北里大学をはじめ、現在の東京大学医科学研究所、北里研究所、北里大学北里研究所病院、慶應義塾大学医学部などの創立者です。
彼は、1853年に熊本に生まれ、18歳で熊本医学校(現在の熊本大学医学部)に入学し、そこでオランダ人の医師、マンスフェルトと出会い医学に傾倒していきます。さらに彼は、21歳の時に、医学を極めるために東京医学校(現在の東京大学医学部)に入学します。
30歳で医学校を卒業した彼は、在学中に、病気を予防することこそが医師の使命であると確信し、内務省衛生局に入局して細菌の研究に従事します。
32歳から38歳までドイツに留学し、病原微生物学の第一人者と言われていたローベルト・コッホに師事します。36歳の時に破傷風菌の純粋培養に成功し、37歳の時にその免疫抗体を発見し、それによって破傷風の血清療法を確立します。

このことで、彼、北里柴三郎の名は、世界的な研究者として知れ渡ることになります。明治23年のことです。
その後、39歳で帰国した彼は、伝染病研究所を設立し、そこでさらなる研究に取り組みます。
41歳の時には、ペスト菌を発見。再び世界に大きく貢献します。
この後も、彼は、狂犬病その他の伝染病の血清開発に取り組みます。大正時代に入ると彼は、日本結核予防協会を皮切りに、研究所や病院を設立し、日本の医学界の発展のために尽力します。
そして昭和6年、78歳の時に東京にて逝去します。脳溢血だったとのことです。
さて、北里柴三郎がノーベル賞を受賞できなかったのはなぜだったのでしょうか?
北里柴三郎は、上述のように、37歳の時に破傷風の血清療法を確立しました。明治23年、西暦1890年のことです。同年、彼は、この血清療法を応用して、ドイツ人の医師ベーリングと共にジフテリアの血清療法に取り組みます。

そして、2人の連名で論文を発表し、第1回ノーベル生理学・医学賞の候補者に選ばれます。しかし、実際に受賞したのはベーリングだけで、柴三郎は受賞することはありませんでした。どうしてだったのでしょうか。考えられる理由として当時から上がっているものは、次の4つです。

  1. ベーリングはすでに単独で、別途ジフテリアの論文を発表していた。
  2. 連名ということで北里柴三郎はアシスタント的存在だと見なされた。
  3. 共同受賞という発想がなかった。
  4. アジア人、特に鎖国直後の日本人に対する人種差別や偏見があった。

ベーリングは、受賞後、すべてが北里柴三郎の研究があってのことだ、ということをいろいろなところで明言したために、この時も北里柴三郎の功績は世界中で認められたそうです。が、いずれにしても、何が理由なのか、その真偽のほどはわかりません。でも、血清療法御本家の北里柴三郎が受賞できなかったのは本当に残念ですね!
ともあれ、北里柴三郎は、当時、治療法もわからずにかかると死ぬしかない、といった伝染病から大勢の人々の命を救うという偉業を成し遂げただけでなく、予防医学と免疫療法の重要性を日本医学会に知らしめ、後進を育てるための研究所や大学を設立しました。
それも、名誉や名声や金銭的な富を得るためではなく、人々を救いたいという一途な情熱からでした。そのおかげで、今わたしたちは、いろいろな伝染病から守られているわけです。
まさしく「医は仁術なり」ですね。再来年、紙幣が刷新されたら、1000円札、大切に使うことにいたしましょう。

 

幹事報告

北原弘文 幹事

1.会員名簿の追加について

武井会員のシートを印刷しました。
会員各位のトレイボックスに入れましたが、紙が小さいのでお気を付けください。

2.米山カウンセラー研修会について

昨日開催され、浅井カウンセラーにご参加いただきました。ありがとうございました。

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3.地区大会について

地区大会の案内が届いています。詳細はプログラムが配布されますので、ご確認ください。11/26(金)~27(土)です。
基本的にZOOMによる参加方式になります。
一部、 会長幹事、地区役員などはリアル参加となります。
今年度のトピックスとして、大地会員が長寿会員の仲間入りをされ、田中会員とともに表彰されます。

4.世界ポリオデー『トレインジャックプロジェクト』について

5.『ロータリー日本100年史』が届きました。

6.近隣クラブの例会臨時変更

 

委員会報告/会員報告等

会員報告

三谷英弘 会員

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出席報告

露木健造 出席委員長

今回出席状況
  在籍会員 出席 MU済 ビジター ゲスト
会員総数 30 23 1 0 0
(内 出席免除会員数) 5 3

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ホームクラブ出席率 外部参加者
  会員数
(男/女)
出席率 正会員
出席
免除会員
出席
Make-up
会員
ビジター ゲスト
今回 30 (26/4) 85.71 % 20 3 1 0 0
前回補正後 30 (26/4) 65.39 % 15 1 1 0 0
前々回補正後 30 (26/4) 68.00 % 17 0 0 0 0
 

スマイルレポート

スマイル 22 件

ニコニコ

清水裕之 会長 久しぶりの例会場ですね。やはりリモートよりも皆さんにお目にかかれることが ひときわうれしく感じます。松尾会員、本日のイニシエーションスピーチ 楽しみにしております。
北原弘文 幹事 久しぶりに皆様とお会い出来て新鮮な気分です。
浅井優子 会員 ・皆様、お久しぶりです。
・松尾会員、本日のイニシエーションスピーチ お願い致します。
井藤昭宏 会員 松尾様、卓話宜しくお願いいたします。
内倉和子 会員 お久しぶりです。皆様の元気なお顔が見れて嬉しいです。松尾会員、イニシエーションスピーチ楽しみにしています。
大地哲郎 会員 皆様、お久し振りです。よろしくお願い致します。真鍋先生、ノーベル物理学賞おめでとうございます。
加藤浩介 会員 みなさま お久しぶりです!やはり対面はいいですね!
加藤喜夫 会員 誕生日のお祝い ありがとうございます。
小泉豊 会員 宣言明けましておめでとうございます!松尾様、イニシエーション楽しみです!
小八木隆男 会員 松尾さん、本日のイニシエーションスピーチ 宜しくお願いします。楽しみにしておりました。
齊藤清紀 会員 皆様、お久しぶりです。毎日 銀杏の実がおちて、掃除が大変です。松尾さん、本日の卓話よろしくお願いします。
齋藤光宏 会員 みなさま お世話になっております。久しぶりに会場での例会が開催されうれしいです。松尾 伸治会員、本日のイニシエーションスピーチよろしくお願いいたします。
篠田正道 会員 松尾様、卓話よろしくお願い致します。バースデイプレゼントありがとうございます。
下中英輝 会員 久しぶりです。皆様元気そうでなによりです。本日、松尾会員 よろしくお願いいたします。
高嶋淳二 会員 皆様ごぶさたしております。解除、うれしく思っています。松尾会員のスピーチ楽しみです。
田中孝 会員 My Best Pertner の誕生日祝い ありがとうございます。身体のところどころに故障は生じておりますが、お陰様で元気に日々を送っております。
露木健造 会員 非常事態宣言により例会も儘(まま)ならず、久しぶりの例会場にての開催です 嬉しく思います。WEBでの例会に出席出来ず 誠に申し訳ございませんでした。妻の誕生日祝い ありがとうございました、以上。
日向誓子 会員 松尾会員、本日のイニシエーションスピーチを楽しみにしております。どうぞよろしくお願いいたします。
舟橋金之介 会員 ・久し振りの通常例会、この先も大きなリバウンドが起こらぬ様願っております。・松尾会員、本日のイニシエーションスピーチ楽しみにして居ります。
松尾伸治 会員 ご無沙汰しています。久しぶりの参加、大変喜ばしく思います。
三谷英弘 会員 がんばります!妻のおたんじょう日祝いもありがとうございました‼
武藤泰典 会員 ごぶさたしております。久しぶりの例会場での例会、うれしく思います。
 

ニガニガ

今回は無し  
 

卓話

イニシエーションスピーチ

松尾伸治 会員
[職業分類:住宅販売]

昭和44年9月生まれの52歳でございます。
家族は妻、長女大学4年生 次女大学3年生の4人家族でございます。
現在福岡に家があります。

出身は大阪枚方市出身で、一つ下の妹と両親の4人家族です。
平凡な会社員の家庭に生まれました。父、母とも山口県の萩市出身で、就職の時にお互い大阪に出てきました。小さい頃、田舎の祖父や祖母のところに遊びに行く度に吉田松陰の松陰神社へ連れていかれましたが、特に大きな影響を受ける事はなかったのですが、司馬遼太郎の幕末から明治にかけての本を読むことが好きになりました。

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小さい頃はおとなしく引っ込み事案でしたが小学校3年から少年野球を始め中学、高校、大学まで14年間することとなりました。野球は地元の公立高校で全く甲子園とは縁もゆかりもありませんでした。

大学は京都の立命館大学経営学部に入学し、こちらもアルバイトと準硬式野球部のクラブ活動で4年間を過ごしました。
アルバイトはクラブの合間に家庭教師や家具の配送の助手、ミスタードーナツで働いていました。特に家具の配達の助手は非常においしい思いを致しました。日給は8000程でしたが、土日大安や友引なると婚礼の家具の配送が入り、祝儀が別途にもらえました。
大層な家柄の婚礼家具の配送となると、新婦側から祝儀で3万円、食事代1万、そして新郎側でも同じく3万、1万の計8万になることもありました。
ただこのバイトは配送の際、交通事故はもっての他ですし、途中で車をバックすることは縁起が悪いで許されておりません。夏場になると重たい婚礼家具で桐のタンスがあると汗が少しでも家具についてしまうとシミがとれなくなる為、慎重を喫しました。
大学時代は今までの人生の中で一番自由に使えるお金が多かったように思います。

いよいよ就職活動ですが平成4年というバブルの最後の年でしたから、就職活動は特に苦労した覚えはありません。野球部の先輩から都銀や証券会社、ビール会社など誘われましたが、しんどい営業の仕事は嫌でしたので断りました。
ただ、自分は文系なので衣食住中心で、大阪を離れたくない私は、本社が大阪か京都の企業で探しました。
この3社の中で、衣料系は最終面接で落ちました。
役員面接で派手なピンクのネクタイをした冴えない風貌のおじさんがいきなり、面接の質問で私に、その役員自身のファッションセンスはどう思われますか?と質問され、20秒程、沈黙が続きました。
正直さを問われているのか、女性衣料メーカーとしてうまく褒めなければならないのか、迷いました。今なら褒めるべきだと思っていますが、そのあとの面接はしどろもどろでした。
落ちたのは必然だったと思います。
後、食品会社は入社して最初は東京でデパート廻りをして欲しいとの事で、東京に行きたくない私は、断りました。
残った現在の職場はいつも身近に感じていたブランドの住宅会社ということで今も勤めているN住宅という会社です。面接で当社は販売会社ではなく、メーカーなので直接お客様に住宅を、販売することはほとんどないといわれ入社しました。住宅営業はハードなイメージがありましたので、営業採用なら間違いなく断っていました。
正式にN住宅に採用され半年程、本社や滋賀の工場で研修したのち、いよいよ配属が決まりました。何と、メーカーで直接家を売る事が無いと思っていましたが、いきなり出向することとなり、販売の仕事に従事することとなりました。
勤務地も地元本社、近畿、遠くても中国エリアを希望していたのに九州エリアの福岡に配属が決まりました。昨今では福岡は転勤族に大変人気エリアですが、大阪しかしらない私にとって福岡はただの九州でしかありませんでした。
そこで住宅営業として社会人の第一歩を踏み始めました。年間休日120日、福利厚生充実した会社に入ったつもりが、出向先の販売会社はまさしく、当時は今では考えられないですがまともに丸1日休めるのは、月に2日か3日、帰宅時間は大体12時前後となることがままありました。また出向社員として成果を出さないというプレッシャーは非常にありました。
負けたくない気持ちで仕事に専念致しました。住宅は個人が買う一番高価な買い物で、注文住宅は目に見えないものを作り上げていきますので、商談スタートから最低半年は完成するまでお客様とじっくりお付き合いすることになります。最近は土日中心の商談が多いですが、我々が営業の時は夜の19時から商談がスタートし終わるのが23時から24時までと本当に体力が必要な仕事でした。ですから独身時代は寮で食事をすることはほとんどなく、週に3日か4日はお客様の家でご馳走になっていました。そのため、酒を飲みながらごはんも何度もお代わりをして、体重も一時85KGまで太りました。
健康診断では肝機能障害と診断されるまでになりました。

そして30歳手前で現在の嫁と結婚をしてすぐに長女を出産しましたが、すぐに私自身交通事故で足を骨折して半年間仕事を休むこととなりました。当時、会社の通勤経路は電車通勤でしたが帰宅時には終電がなくなる事がざらでしたので原付バイクで通勤していました。
当時、会社の申請と違う経路で夜中に交通事故にあった為、社内では問題となりましたが何とか大きな処分を受ける事はありませんでした。
入院期間、最初の1カ月くらいは決まった時間に検診とリハビリがあり、決まった時間にTV、食事という生活は本当にストレスが無くゆっくり休ませて頂きましたが、さすがに時間が経つにつれ、のんびりした生活に我慢しきれずに、虚しさを感じ、当たり前に働ける事がどんなに貴重であったかを痛感致しました。病院の窓から普通に仕事をしている人を大変羨ましく思いました。
仕事復帰後は今まで以上に仕事に打ち込む事も出来ましたし、入院期間中の家族の有難みを理解致しました。最初はたくさんの人が見舞いに来てくれ、仕事の引継ぎで出入りがありましたが徐々に数も減っていきました。改めて、なんだかんだといっても最後は家族や身内だなあという事も感じました。
その後、福岡県内の展示場を定期的に異動しながらプレイングマネージャーとして勤務いたしましたが40歳目前に沖縄へ営業部長しての転勤が決まりました。何せ、新入社員依頼の異動で子供も小学校4年、5年でしたので単身赴任も考えたのですが、もう暫く子供達と生活をしたかったので、泣いて嫌がる家族にお願いをして沖縄に来てもらいました。

沖縄では支社長以外は全て地元の人ばかりで、生活風習が全く違うので最初はかなり戸惑い非常に社員からも関西弁をしゃべる営業責任者が来るという事で警戒もされました。
今ではTV番組とかで面白おかしく放送はされていますが、最初に私の歓迎会をして頂くにあたり19時集合という事で10分前に到着しました。すると2、3名は来ていましたが既に飲み始めており、19時になっても4.5名程が来た程度でスタート致しました。
最終30名程参加とは聞いていましたがこの時間のルーズさには驚きました。
その後、続々とシャワーを浴びてくる者や仕事で遅れて参加するものが現れようやく一定の人間が集まり、乾杯の挨拶をしたのが20時過ぎでした。
沖縄ではゆっくり時間を掛けて泡盛などのお酒を飲むので、こういうケースが一般的だと教わりました。
また、住宅の棟上げ式やお祝いの席で一部のご家庭ではヤギを絞めて刺身にしたり、ヤギ汁として振舞われたりと、特別な風習もありました。
高級料理なのですが、あの獣の匂いがたまらなく苦手で、お祝いの席に呼ばれるのは苦痛でなりませんでした。ただ、セミナーとかこつけて、石垣、宮古、多良間、西表、久米島等の離島にいって、お酒の飲みながら本当にゆっくりくつろぐことが出来ました。今でも当時の風景が思い出されます。
沖縄の青い海を眺めていると、日々の嫌な事やストレスが吹きとび、楽しく3年半の赴任生活を過ごす事が出来ました。

その後、香川に支社長として3年半、赴任いたしました。
四国も初めてのエリアで緊張感を持って赴任いたしまいたが、四国時代は元気な都市の福岡や沖縄とちがって、人口減少が激しく、正直、地方都市という感じが致しましたが、住めば都で、休みの日には、徳島、愛媛、高知、淡路島、岡山にも足を運び、美味しい食事やお酒を目的に観光に廻りました。

次にもう一度沖縄へ、今度は支社長として赴任いたしました。
2度目という事で、さすがに驚きましたが、内心、喜びました。今度はさすがに子供が高校生でしたので、単身赴任で参りましたが、地理感や人間関係など本当にストレスを全く感じることは無く、1年9カ月という非常に短い期間で私の会社人生の中で最も楽しいひと時があっという間に過ぎてしまいました。
次の赴任先は中部第一支社の支社長ということで、社内での管轄で行きますと愛知県と石川県、富山県のエリアを管轄することとなりました。そこでの思い出はやはり、トヨタです。愛知県ではトヨタホームは県内№1でありますが、私たちの住宅のお客様もトヨタグループの方が非常に多くて、トヨタ自動車始め、デンソー、アイシン、ジェイテクトなど様々なグループ企業が県内にあり、愛知県でのトヨタの存在感、巨大さを感じました。
また金沢と富山には、3カ月に1度程のペースで出張にいくことが何よりの楽しみで街並みが美しく、酒、料理が美味しく、定年後、ゆっくり旅行に行きたいと思います。

そして今年の4月、神奈川に着任いたしました。
始めての首都圏エリアという事で、今まで以上に身が引き締まる思いです。
着任して半年、経過いたしましたがコロナ禍の中、ほとんど社内のイベントや社外の方との交流の為の食事会などは自粛で、コミュニケーションを広げられずに残念ですが、ロータリークラブはコロナ緊急事態宣言期間中もリモート中心で参加させて頂きました。
10月より緊急事態宣言が明けましたので、よりたくさんの先輩方のご指導を頂きながら、自らの知見を高めて、地域密着で業務、私生活共に充実させて参りたいと思います。
どうぞ宜しくお願い致します。

 

オンライン出席状況

該当者無し

 

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