横浜緑ロータリークラブ

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第2220回例会 2016年 2月17日(水) 例会場:青葉台フォーラム 時間:12:30~13:30
会長 露木健造 幹事 小泉豊 会報委員長 清水保代
司会 飯田正男 SAA 斉唱 『我等の生業』 点鐘 露木健造 会長
卓話

『ラーメンのルーツと最新事情』 涌井雅英 様

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誕生祝 ビジター ゲスト
北原弘文 会員 一樂祥子 ガバナー補佐(横浜あざみRC) 涌井雅英 様(港北RC)
新横浜ラーメン博物館 営業戦略事業部長
 

お祝い・表彰・挨拶等

ゲスト及びビジター紹介

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ゲスト
涌井雅英 様(港北RC)
新横浜ラーメン博物館 営業戦略事業部長

 

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ビジター
一樂祥子 ガバナー補佐(横浜あざみRC)

 

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入会式

清水厳 会員

 

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委嘱状交付

鶴岡武 会員

地区研修・協議会
国際奉仕部門サブリーダー

 

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会員誕生祝

北原弘文 会員

 

パートナー誕生祝

若山誉 会員パートナー:裕子 様

 

会長報告

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会長:露木健造

既にメールでご承知と思いますが、1979~1980年度・パスト会長山下栄蔵氏が去る2月13日(土)午前中89歳にて逝去されました。

山下さんは、体調と高齢という理由で、昨年度退会されましたが、1970年7月入会され45年間横浜緑RCを支え、又後輩のご指導を頂いたことは誠に感謝申し上げます。

昨年の理事会でお元気の内に名誉会員として、時には例会にお出かけ頂くとか、炉辺会合でお会い頂く機会を増やそうと決定しました。既にお辞めになった、代々木さん、森 宏さんなどと一緒に、横浜緑RC名誉会員依嘱をお願いしようと決定し準備いていた矢先で、間に合わず残念で成りません。

名誉会員依嘱のきっかけは、長年RCに後輩の指導、クラブの発展に尽力され、体調などの理由で退会して縁が切れるには余りにも、寂しい話で、現在活躍中の会員も、長くロータリー活動する生き甲斐が失われるのでないかと議題にあがり、退会されてもご縁を持ち続けようと理事会決定いたしました。

名誉会員細則変更は2015年8月5日例会でご承認頂いております。

最後に山下パスト会長、名誉会員のご冥福を謹んでお祈り申し上げます。

備考:
宗旨・宗派 浄土真宗 高田派でいらっしゃいますので既に身仏とおなりであります。
浄土真宗では  ーいのちの終わりは いのちの始まりー
往生とは「阿弥陀如来の浄土に往って生れる」ことです。
終着駅が始発駅になるように、死はすべての終わりではなく、新たないのちの 始まりでもあります。
合掌 南無阿彌陀仏

 

幹事報告

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幹事:小泉豊

 

委員会報告等

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ご挨拶

第2590地区第5グループ
一樂祥子 ガバナー補佐
(横浜あざみRC)

 

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社会奉仕委員会

委員長:井藤昭宏

【振り込め詐欺撲滅キャンペーンポスター掲示活動】 中間報告

昨年10月から開始した社会奉仕活動の一環ですが、3区緑、都筑、青葉それぞれ多数の人の目にとまることを大前提に、区役所、無料掲示可能駅 長津田、十日市場、センター南、都筑ふれあいの丘、センター北 の5駅、また、3区内の病院、処方箋薬局、コンビニATMなどを中心として、約300枚が掲示済みです。このなかで特筆すべきは、先日、都筑区内のコンビニの中の一件から70代後半の女性が危うく詐欺に遭いそうだったのをこのポスターをATM横で目にして食い止めることが、出来たと報告を受けました。
地域密着型で地味で且つ根気が必要な活動ですが、ロータリーのブランディング向上、しいては会員増加に少しでも役に立てばという思いでこのまま活動を続けます。

後半も3区内各コンビニを中心に、全て制覇を目標に、活動を続けていきたいと思います。

 

 

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プログラム委員会

委員長:北原弘文

 

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諸事連絡

下中英輝 会員

 

出席報告

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出席委員長:武藤泰典

 
今回出席状況
  在籍会員 出席 MU済 ビジター ゲスト
会員総数 29 24 0 2 0
(内 出席免除会員数) 5 4
ホームクラブ出席率 外部参加者
  会員数 出席率 正会員
出席
免除会員
出席
Make-up
会員
ビジター ゲスト
今回 29 85.71 % 20 4 0 2 0
前回補正後 28 77.78 % 16 4 1 1 1
前々回補正後 28 92.59 % 21 4 0 0 5
 

スマイルレポート

 

スマイル 23 件

 

ニコニコ

涌井雅英 会員
(港北)
本日は宜しくお願い致します。
一樂祥子 G補佐
(横浜あざみRC)
7クラブ合同例会の際には、大変お世話になりました。お蔭様で楽しい時を過すことができました。ありがとうございました。
露木健造 会長 去る2月13日(土)ご逝去されました、山下栄蔵パスト会長のご冥福をお祈り申し上げます。一樂祥子ガバナー補佐ようこそ。清水 厳様入会お待ちしておりました。末長く仲良くクラブを盛り上げましょう。新横浜ラーメン博物館 営業戦略事業部長 涌井 雅英様 本日卓話宜しくお願いします。
小泉豊 幹事 ラーメン博物館 涌井様 本日は卓話よろしくお願いいたします。一樂G補佐 ようこそおいで下さいました。清水様 入会おめでとうございます。これからよろしくお願いいたします。
秋山光正 会員 一樂祥子ガバナー補佐、涌井雅英様 いらっしゃいませ。涌井様、卓話楽しみにしてます。清水新会員これからよろしくお願いします。
浅井優子 会員 ・新横浜ラーメン博物館 涌井様 本日は、ようこそおいで下さいました。卓話お願い致します。・横浜あざみRC 一樂ガバナー補佐様 ようこそおいで下さいました。・清水厳様 ご入会おめでとうございます。
飯田正男 会員 家内の誕生日祝いありがとうございました。きれいなお花が、届き喜んでおります。新横浜ラーメン博物館 営業戦略部長 涌井 雅英様、一樂祥子ガバナー補佐 いらっしゃいませ。
井藤昭宏 会員 一樂ガバナー補佐 ようこそいらっしゃいました。新横浜ラーメン博物館 涌井様 本日の卓話よろしくお願いします。
井上幸治 会員 あざみRC 一樂様 ようこそ❢涌井雅英様 本日卓話よろしくお願い致します。とても楽しみにしています。
大地哲郎 会員 一樂ガバナー補佐 ようこそいらっしゃいました。新横浜ラーメン博物館 涌井様 本日の卓話よろしくお願いします。
河原裕典 会員 清水様 入会おめでとうございます。ロータリー活動一緒に楽しみましょう。よろしくお願い致します。一樂ガバナー補佐 ようこそおいで下さいました。涌井様 卓話よろしくお願い致します。
北原弘文 会員 涌井様、ようこそいらっしゃいました。卓話よろしくお願い致します。一樂ガバナー補佐、ごゆっくり。誕生祝有難うございます。
齊藤清紀 会員 横浜港北RC涌井様、本日の卓話宜しくお願い致します。一樂ガバナー補佐 ようこそいらっしゃいました。清水様、入会おめでとうございます。
清水裕之 会員 清水厳様ご入会おめでとうございます。今後ともよろしくお願い致します。涌井様 本日の卓話よろしくお願い致します。一樂様ようこそいらっしゃいました。
清水保代 会員 横浜あざみRC ガバナー補佐 一樂様、新横浜ラーメン博物館 涌井様 ようこそいらして下さいました。清水厳様 ご入会おめでとうございます。これからもよろしくお願い致します。
下中英輝 会員 全会員 パスト会長 山下栄蔵様のご冥福をお祈りいたします。清水様入会おめでとうございます。涌井様本日よろしくお願いいたします。業務の為 早退いたします。
田中孝 会員 ・新横浜ラーメン博物館 営業戦略事業部長 涌井雅英様 ようこそおいで下さいました。卓話楽しみにしております。よろしくお願いします。・ガバナー補佐 一樂祥子様、お忙しい中ようこそおいで下さいました。御指導よろしくお願い致します。・清水厳様、ご入会おめでとうございます。120万人のロータリアンと共にロータリー活動を楽しみましょう。
鶴岡武 会員 涌井様 卓話宜しくお願いします。一樂様お世話に成っております。
日向誓子 会員 涌井様、一樂様、ようこそお越し下さいました。清水会員、ご入会おめでとうございます。
舟橋金之介 会員 ・新横浜ラーメン博物館 涌井様 本日の卓話宜しくお願い致します。・横浜あざみRC 一樂ガバナー補佐、ようこそいらっしゃいました。本日は妻が貴クラブ例会の卓話を聞きに伺って居ります。・パナホーム㈱清水厳様 入会おめでとうございます。ロータリーの活動を一緒に楽しみましょう!!
武藤泰典 会員 涌井様、ようこそいらっしゃいました。本日の卓話、よろしくお願いいたします。一樂ガバナー補佐 ようこそ!清水様、入会おめでとうございます。
餅田実 会員 新横浜ラーメン博物館 涌井部長さん ようこそ。一樂ガバナー補佐様 よろしくご指導のほどお願いします。清水さん 入会おめでとうございます。
森一誠 会員 一樂様 ようこそ。涌井様 卓話よろしくお願いします。
 

卓話

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卓話者紹介

北原弘文 プログラム委員長

 

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ラーメンのルーツと最新事情

涌井雅英 様 (港北RC)
新横浜ラーメン博物館

営業戦略事業部長

ラーメン教室「スープの巻」

 

ラーメンのルーツは、中国の麺料理です。
その麺料理が日本に渡ってきて、独自の発展をしていき、日本の「ラーメン」となりました。
今では日本人の国民食となり、様々な味・スタイルのラーメンが登場しています。

今日はそんなラーメンの「スープの歴史」についてお話ししたいと思います。

「しょうゆ・みそ・しお・とんこつ」

ラーメンのスープの代表的な味と言えば、「しょうゆ・みそ・しお・とんこつ」この4つになります。
この4種の味は最初からあったわけではありません。
どれか1つの味から始まり、徐々に種類が増えていきました。

「水戸黄門」

最初に登場した味は「塩ラーメン」です。
日本で最初にラーメンを食べた人は、あの水戸黄門さんと言われています。

時は1665年、寛文5年。水戸黄門さんは当時38才、中国の文化を学ぶために朱舜水(しゅしゅんすい)さんという儒学者を水戸に招いて、勉強をしていました。ある時、水戸黄門さんは、いつものお礼にと「うどん」を朱舜水さんに作ってあげたそうです。水戸黄門さんはうどん作りの名人だったそうです。そして、朱舜水さんが「お返しとして、我が国の麺料理をどうぞ」といって作ってくれたものがラーメンのルーツと言われています。
そのラーメンは、今のラーメンとは異なり、レンコンから作った麺、スープは、豚のもも肉を塩漬けにしたハムから出汁をとったもの。スープの上にはトッピングはのっておらず、別皿で、山椒・ニンニク・ニラ・白い辛子、中国パセリの5種の薬味が添えられていたそうです。このことは、助さん格さんの日記に記されていました。

その後、ラーメンが一般市民の聞に広まり始めるのは、明治時代にはいってから。
港のそばの居留地などで、中華料理の店や屋台でラーメンが提供されるようになりました。
ちなみに、この頃は「ラーメン」という呼び名ではなく、「南京そば」や「支那そば」でした。それが「中華そば」と変わっていき、そして「ラーメン」という呼び名が一般的になるのは、チキンラーメンが発売された昭和30年代頃からだそうです。

さて、味付けが「塩」だったことから、最初に登場したラーメンの味は「塩ラーメン」でした。

「しょうゆラーメンのルーツ」

次に登場するのは「しょうゆラーメン」です。中国の麺料理が、日本の「ラーメン」に変わった瞬間でございます。

1910年、明治43年に創業した東京浅草の「来々軒」が、その元祖と言われています。
店主の尾崎寛ーさんが、横浜の中華街から中国人コックをスカウ卜して開業しました。

東京は濃口醤油の文化。それまでラーメンといえば「塩味のスープ」でしたが、それでは流行らないと考え、醤油を使ったタレを使用するという工夫をしました。その画期的な試みは大ヒットとなり、お店は大繁盛。ラーメンは、1日1,000杯。多い日には3,000杯も売れたそうです。

ちなみに、来々軒から行った工夫は醤油ダレだけではありません。スープには、トンコツだけでなく鶏ガラを加え、より深みのあるスープに仕上げました。またトッピングには、刻みネギだけ、またはトッピングなしだった時代に、シナチクやチャーシューが乗せられていました。現在の東京ラーメンのスタイルは来々軒から始まったのです。

来々軒という名前はとても有名になり、日本全国で来々軒を名乗る店が増えました。
現在、浅草「来々軒」の直系と言えるお店は1軒だけ。千葉の稲毛にある「進来軒」です。

中国から日本にやってきた塩ラーメンが、日本独自の調味料「醤油」をつかうことで日本のラーメンに変わりました。

さて「塩ラーメン」「醤油ラーメン」ときて、3番目に登場する味はなんでしょう?

「白いとんこつスープの源流」

3番目に登場したのは、白濁したスープの「とんこつラーメン」です。
1947年、昭和22年に創業した福岡久留米の「三九」というお店がその元祖と言われています。

現在、九州のラーメンと言えば「とんこつラーメン」ですが、最初からそうだったわけではありません。九州ラーメンの発祥は久留米の「南京千両」。ここで出されていたラーメンは、関東の支那そばの流れをくむもので、スープは白濁していませんでした。

「三九」 も当初は澄んだスープのラーメンを提供していたのですが、「ある失敗」から白濁したスープのとんこつラーメンが生まれたのです。

「三九」の店主杉野さん。ある日、母親にスープの火加減をまかせて買い出しに出かけました。帰りが遅くなり帰宅した杉野さんが目にしたのは、燃え盛るカマドの火!どうやらお母さんは居眠りをしていたそうです。寸胴をのぞくと、ぼこぼこと沸騰し、白く濁ってしまったスープ。当時の常識では、スープを濁らせてしまったら失敗でした。「これでは売り物にならん!」と、杉野さんは寸胴のスープを捨ててしまおうとしましたが、何かひらめきがあったのでしょうか、ためしにと味付けして飲んでみたところ、実に深みとコクのある味でした。これがきっかけとなり、白濁したスープの「とんこつラーメン」 が生まれたのです。

ちなみに、白く濁るのは「乳化作用」といい、豚の骨に含まれるコラーゲンが強火で、焚くことによって溶け出し、水と油をつなぐ「乳化剤」の役割をすることで、白く、濁ったスープとなるのです。

とんこつラーメンは鹿児島を除く九州全域に広がっていきました。そして昭和60年代には、「博多ラーメン」を筆頭とする「とんこつラーメンブーム」が関東を中心に全国的に巻き起こりました。
さて、3番目に登場した味は「とんこつラーメン」でした。

そして最後、4番目に登場したのが「味噌ラーメン」です。

「札幌 味の三平」

札幌と言えば「味噌ラーメンの聖地」とも言われていますが、最初から味噌ラーメンがあったわけではございません。
札幌ラーメンのルーツは、大正11年創業の「竹屋食堂」。ここで出されていたのは当初は 「塩ラーメン」。後に「醤油ラーメン」も提供されました。
「味噌ラーメン」が誕生するのは、その30年あまりのち。札幌の「味の三平」というお店がその元祖です。お客様からのリクエストから「味噌ラーメン」は生まれました。
「味の三平」では醤油ラーメンを提供していたのですが、単身赴任で札幌に来ている常連の方が多く、「おふくろの味」をもとめる声に応え、味噌味の豚汁をふるまうことがありました。そんなある日、「今日はとてもお腹が減った。悪いけど、豚汁にラーメンの麺を入れてくれないか?」というリクエストがあったそうです。そうしたところ、お客様に大好評。
このことをきっかけに、「味の三平」店主大宮さんは、味噌ラーメンの研究を始めました。全国を周って、スープと相性の良い味噌を探しました。札幌ラーメンに特有の「固さのある歯ごたえの良い麺」は大宮さんと西山製麺の西山さんが共同開発したものです。妙めたモヤシをのせたのも大宮さんでした。行列のお客様のために長椅子を並べたのも最初と言われています。
何度も試作を繰り返し、昭和30年代中頃より、味噌ラーメンは「味の三平」の正式メニューに加わりました。その後、昭和40年代に入ると、東京の高島屋で「北海道物産展」に味噌ラーメンが登場、また、即席めんの「サッポロ一番味噌ラーメン」が発売されたことで、味噌ラーメンは全国的に有名になりました。

駆け足で進めてまいりましたが、中国から日本に渡ってきた麺料理が日本独自の進化をし、さまざまな味のラーメンが誕生しました。今では、ラーメンは、再び海を渡り、世界に広がっております。日本のラーメンの模倣が多かった時代から、ご当地性が感じられるラーメンが世界の各所で生まれてきつつあります。
これからも新横浜ラーメン博物館では、日本全国から世界各地のラーメンまでみなさまにご紹介していきたいと思います。ご清聴ありがとうございました!

 

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