会報 第2090回例会 2013年 5月 8日

 



 

第2090回例会 2013年5月8日(水)
例会場:青葉台フォーラム 時間:12:30~13:30

卓話 『次年度計画について』
天野正昭 会長エレクト

司会 大野富生 SAA
斉唱 『君が代』
『我等の生業』
点鐘 武藤泰典 会長
会長報告 武藤泰典 会長
幹事報告 露木健造 幹事
卓話 次年度計画について
 天野正昭 会長エレクト
誕生祝 井上幸治 会員
宗貴嗣 会員(欠席)
江田憲司 会員(欠席)
ゲスト 無し
ビジター 無し
出席報告 高嶋淳二 委員長
発行者 井上幸治 会報委員長
 

[smile] 画像クリックで拡大表示します。連続で写真が閲覧可能です。

 

報告等

表彰・お誕生日祝い等

会員誕生祝

会員誕生祝

井上幸治 会員

 
会員誕生祝 会員誕生祝
 
 
 

会長報告

武藤会長

会長:武藤泰典

 先々週の週末に行われました、横浜マリノスとの交流会、お疲れ様でした。私は、所要で参加できませんでしたが、当クラブのホームページを見て、このプロジェクトが、無事、終了できたことを確認いたしました。竹内社会奉仕委員長はじめ、参加して頂いた会員の皆様、ありがとうございました。山田町の子供たちの、良い思い出になったことでしょう。
 さて、ヘンナは最終ホストファミリーであります、齋藤会員宅へ移りました。7月中旬の帰国日まで、齋藤家でお世話になります。ヘンナもお寺に住めることを楽しみにしておりましたので、最後に希望が叶って良かったと思います。齋藤会員のお寺で、日本の習慣や文化を、たっぷりとヘンナに教えて頂ければ幸いです。齋藤会員、宜しくお願いいたします。

 今年度も、後2ヶ月を切りました。そろそろ来年度の準備を始める時期となりました。本日の卓話は、天野会長エレクトの「次年度計画」と言うことで、次年度がどんな年になるか楽しみにしております。天野エレクト、本日は宜しくお願いいたします。

 
 

幹事報告

露木幹事

幹事:露木健造

  1. 本日会報は事務局のコピー機が故障した為に1部しか用意できませんでした、回覧でご覧ください。
  2. 今年度も残り2ヶ月を切りました、今日現在会費の未納の会員さんは出来るだけ早めに納入下さい、請求書をメールBOXにお入れしてあります。
  3. 4月26日・27日社会奉仕プロジェクト、岩手県山田町ジュニアサッカーチームと緑区いぶき野ジュニアサッカーチーム招待による横浜Fマリノスとの交流が大盛況でした。子供達と引率の父兄も喜んで山田町に帰っていかれました。詳細は竹内社会奉仕委員長よりご報告申し上げます。
  4. 再度お知らせします、5月22日(水)横浜田園RCとの合同夜間移動例会
    場所 長津田 米宗
    点鐘 18:30で行います。(会費は1万円です)
  5. 本日次期委員長会議を18:30より青葉台 希で行います。次期委員長さんは抱負のコメントを発表して頂きます、ご準備のほど宜しくお願いします。
  6. 今月の経営研究会は中止となります。
  7. 2012-13年度の各委員長さんは本年度の活動報告のご準備をお願いします。
    又、来期(2013-14年度)のガバナー補佐訪問前にガバナー事務所へ活動計画書を製本し、送らなければなりませんので、6月末までに活動計画書提出を次年度会長・幹事各委員長さん宜しくお願いします。
  8. 他クラブ例会変更  なし       
  9. その他  君が代のお話を添付ファイルでお送りします、ご覧ください。
  10. 本日のスマイルクジ参加者26名全員参加、ありがとうございます。
    当選者 武藤会長・村松パスト会長・竹内会員でした、おめでとうございます。
 

君が代のはなし

「君が代」は天皇崇拝の軍国主義賛美の歌だと言う人がいますが、じつに程度の低い話です。
そもそも「君が代」は、戦前からのわずか7〜80年の歴史の歌ではありません。
いまから千年以上もの歴史のある歌です。

「君が代」の文字としての初出は、平安時代初期の延喜5年(905年)です。
この年に編纂された「古今和歌集」の巻7に、「賀歌」の代表作として納められています。
「古今和歌集」は、醍醐天皇の勅命によって編纂された勅撰和歌集です。
いまでいったら日本政府そのものが編纂した公的歌集で、万葉の時代から撰者たちの時までの140年間の代表的作品を集めたものです。
序文はカナで書かれていて、その執筆者は紀貫之(きのつらゆき)です。
その中に「読み人知らず」として掲載されているということは、すでにこの時点で多くの人に愛された歌だったことを示しています。
後年に書かれた「枕草子」によると、平安貴族たちにとって「古今和歌集」の暗唱は、常識だったのだそうで、その「古今和歌集」で、お祝いの歌の代表作として紹介されたのが、「君が代」です。つまり「君が代」は、貴族たちの慶賀の歌としても、常識歌だったわけです。
それだけではありません。
「君が代」は、その後に編纂された「新撰和歌集」や「和漢朗詠集」にも転載されています。
つまり、そうしなければならないほど、いまから千年もの昔から多くの人々に愛された歌であったということです。

ではなぜ「君が代」は、そんなに素晴らしい歌とされたのでしょうか。
理由のひとつに「君(きみ)」があります。

「君」は君主をあらわすという人がいますが、それは間違いです。
漢字の「君」は、「口」ヘンと「尹(イン)」を組み合わせた文字ですが、「尹(イン)は、「手」に「|」(つえ)を持っている姿です。これは「聖職者」をあらわします。
「口」は、その聖職者が口を開けて、何かを説いている姿です。
つまり「君」という字は、会意形成文字で、高貴な人をあらわす文字です。
読みは「クン」です。
「君主(クンシュ)」となると「高貴な人=君(きみ)の主人」なので、それだけ偉い人です。
「君子(クンシ)」は、その高貴な人の子と、ちょっと謙遜がはいります。
つまり「君」という字は、高貴な人であり、だからこそ、源氏物語は朝顔の君や、藤袴の君など、美しい女性たちに「君」の尊称をつけています。
「君」が天皇をあらわすというのなら、源氏物語の女性たちは全員、天皇ということになってしまう。その「君(クン)」という漢字に、古代の日本人は、もとからの日本語にある「きみ」という読みを当てました。「君が代」の「きみ」です。
その「きみ」とは、どういう意味の言葉なのでしょうか。
実は、古代日本語で「き」は男性、「み」は女性をあらわす言葉なのです。
日本神話に登場する最初の男女神は、イザナ「キ」、イザナ「ミ」であり、「おきな=翁」「おみな=嫗」という言葉もあります。
イザナキ、イザナミ以前の神々は性別がなく、日本の神々で最初に性別を持った神として登場するのが、イザナキ、イザナミです。
その最初の男女神は、イザナキ、つまり「いざなう男」、イザナミ「いざなう女」として登場します。
「いざなう」は、漢字で書けば「誘う(いざなう、さそう)」です。
つまりイザナキ、イザナミの物語は、誘(さそ)いあう男女の物語でもあるわけです。
二人は天つ御柱で出会い、
キ「我、成り成りて、成り余るところあり」
ミ「我、成り成りて、成り足らざるところあり」
と声をかけあい、互いの余っているところと、足りないところを合体させて、子を産みます。
ここで大切なことが、男女が互いに「成り成りて」というところです。
「成り」というのは、完全に、完璧に、という意味です。
その成りが二つ重なっていますから、「成り成りて」は、完全に完璧に成長したことを意味します。完全です。何の欠点もなく完璧に、ということです。知性も肉体も、まさに完璧に成長し、成熟したのです。

ところが、完璧に成長したら、互いに「余っているところ」と「足りないところ」があった。
これは矛盾です。余ったり、足りなかったりするのは、「完全」ではないからです。
完全体になったら、完全でなくなってしまったのです。

そこで二人は互いの余っているところと、足りないところを合体させて、より完璧になろうとしました。すると「子」が生まれたのです。
このことは、私達にとてもたいせつなことを教えてくれています。
神々でさえ、完全に完璧に成長してから、男女のまぐあいを持ったのです。
ましてや、神々の子孫である我々人間は、男女とも当然に完全に成長してから、交合するものだということを教えているからです。
つまり、親の脛かじりで、まだ勉強中の身上では、男女のまぐあいはするものではない。
もっとしっかり勉強し、体を鍛え、互いに完璧に成長してから、結婚しなさい、というわけです。
つまり「きみ」というのは、男と女、それも「成り成りた男女」をあらわします。
男女が「なりなりた」ことは、本人たちに喜びがあるだけでなく、親や親戚、教師など、周囲の者たちの喜びでもあります。
そしてまた、「完全に完璧な成長」は、尊敬の対象でもあります。
ですから「きみ」は、「完全に成熟し成長した」という、喜びの言葉であり、おめでたい、相手を敬う言葉となったのです。
従って、「きみ」は、「完全に完璧に成長した男女の喜びであり、尊敬し敬愛する人の喜びであり、「きみが代」は、その「愛し尊敬する人の時代」という意味となります。
その「愛し尊敬する人の代」が、「千代に八千代に」と続くのです。
ここまでだけでも、「君が代」とその背景となっている日本文化の素晴らしさがあるのですが、歌はさらに「さざれ石の巌となりて」と続きます。

「さざれ石」というのは、正式名称を「礫岩(れきがん)」といいます。
細かな石が長い年月をかけて固まって巌となった岩石です。

実はこの「礫岩」、日本列島が生成されたことによって生まれた、日本ならではの地勢が生んだ岩石です。どういうことかというと、日本列島の周辺には、大陸間のプレートがあります。
よく地震が起きる原因となっているといわれている、あの地底プレートです。
そこでは、片方の大陸のプレートが地底に沈み、もう片方の大陸プレートが隆起をしています。
互いに押し合いへしあいしている場所ですから、当然、そこは傾斜しています。
その傾斜地に、プレートで運ばれた小石が堆積する。
そして何万年という長い年月が経つ。堆積した小石は、大陸プレートのものすごい圧力に押されて、石と石がくっついていきます。そして大きなかたまりの岩石になる。
やがてその傾斜地が地殻変動で隆起し、地上に出て山脈となります。
その山脈で見つかるのが、礫岩、すなわち「さざれ石」です。
まさに「さざれ石の巌と」なることは、それこそ何千年、何万年という、とほうもなく長い年月を必要とします。
昔の人が、そんな地学の知識をもっていたかはわかりませんが、ただ、礫岩を見て、長い年月をかけた自然の偉大な力には畏怖を感じたことでしょう。
同時に、とほうもない、何百年、何千年、何万年という寿命は、人間にはありません。
にもかかわらずさざれ石が巌になるまでというとほうもない年月、互いに協力しあうということは、何を意味しているのでしょうか。
ここにも深い意味があります。
日本では古来、人は生まれ変わるものと信じられてきました。
肉体は老い、死を迎えても、魂は再び人となってこの世に生まれる。
つまり、「さざれ石の巌となりて」は、「生まれ変わって何度でも」という意味としてもとらえることができます。
そして忘れてならないのは、さざれ石は、小さな小石が結束して大きな岩石となっているという点です。ひとつひとつは小さな小石でも、大きな力でみんなで団結したら、それは大きな「巌」となる。つまりさざれ石は、「きみ=男女」の結束、そして生まれて来る子供達や新たに親戚となる者たちなど、そのすべての人々が、大きな力のもとで固く固く団結しあい、協力しあうことの象徴でもあります。
そして最後に「君が代」は、「苔のむすまで」と締めています。
苔は、冷えきったり乾燥しているところには生えません。
濡れていて、水はけの良いところに生育します。カビとは違うのです。
つまり、濡れたものと、固いものがしっかりと結びついたところに苔は生えます。
すなわち「苔」は、「きみ=男女」が、互いにしっかりと結びつき、一緒になって汗を流し、涙を流し、互いにしっかりと協力しあい、長い年月をかけて生育する。
それは、男女のいつくしみと協力を意味します。

ですから君が代は、

「きみ」=完璧に成長した男女が、
「代」=時代を越えて
「千代に八千代に」=永遠に千年も万年も、生まれ変わってもなお、
「さざれ石の巌となりて」=結束し協力しあい、団結して
「苔のむすまで」=固い絆と信頼で結びついて行こう

そんな意味の歌である、ということになります。
戦争の象徴だとか、そんな意味ではまったくない。
人の愛と繁栄と団結を高らかに謳い上げた、祝いの歌なのです。
そんな歌が、いまから千年以上前に生まれ、たいへんにおめでたい素晴らしい歌として、勅撰和歌集にも繰り返し掲載され、江戸時代には庶民の一般的な祝いの席の謡曲として、広く普及していたのです。
千年の時を越えて、人々に祝歌として歌い継がれる歌を、我が国の国歌としているということ自体、すごいと思うし、さらにもっといえば、「きみ」の持つ深い意味と、その深い意味が千代に八千代に続く、さらに「苔のむすまで」という男女の愛に、私は、とてつもない日本文化の愛の深さと、あたたかみを感じます。
さて、君が代の歌詞のことを書きましたので、せっかくですから曲(旋律)のことも書いておこうと思います。
いま歌われている君が代の旋律ができたのは、明治の初めの頃のことです。
その頃横浜の英国大使館に、ジョン・ウィリアム・フェントン(John William Fenton)という、音楽隊長がいました。
フェントンは、薩摩藩の依頼を受けて、薩摩の青年たちに吹奏楽を教えていました。
薩摩軍楽隊です。実はこの吹奏楽団が、日本初の西洋式吹奏楽団です。
なにせ楽器といえば、お琴や三味線、和太鼓、和笛くらいしかなかった時代のことです。
言葉も通じない、五線譜も初めて目にするという日本人に、西洋式楽器の指導をされたフェントンは、さぞかしたいへんなご苦労だったことと思います。
ちなみにフェントンが教えた「薩摩軍楽隊」は、明治元年(1871年)には「日本海軍軍楽隊」へと発展し、これがいまに続く海上自衛隊吹奏楽団に至っています。
そのフェントンが大山巌に、「明治新政府になにか儀礼音楽が必要です」と進言したのが、明治2年(1872年)10月のことです。
「なるほど」と頷いた(うなづいた)大山巌は、数人と相談して、平素、彼自身が愛唱している「薩摩琵琶歌の蓬莱山」に引用されている「君が代」を歌詞として選び、作曲をフェントンに頼みました。

薩摩琵琶歌「蓬莱山(ほうらいさん)」は、薩摩藩でおめでたい席で歌われた定番曲で、歌詞は次のようになっています。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜
めでたやな 
君が恵みは久方の 光り長閑き春の日に
不老門を立出で 四方の景色を詠むれば
峰の小松に雛鶴棲みて 谷の小川に亀遊ぶ
君が代は千代に八千代に
さざれ石の、巌となりて苔のむすまで
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
まさに「おめでたい」の歌です。
ちなみに「蓬莱山」というのは、道教の神仙思想にある支那の山東半島のはるか東方の海にあるとされている、不老不死の仙人が住む架空の島です。(一説によると日本)
かぐや姫の物語(竹取物語)にも「蓬莱山」は、「東の海に蓬莱という山あり」とされ、そこは不老不死で金銀財宝ざっくざくのたいへんおめでたい島として登場しています。
つまり「鳳来山」の歌は、そんなおめでたい島に住んでいるかのように、美しい景色とおいしい食べ物恵まれ、病気になることもなく、人々が不老不死で、互いの幸せが永久に続きますように、という願いを込めた、たいへんにおめでたい歌というわけです。
そしてこの「おめでたい歌」に引用されているのが、まさに平安時代に誕生した「君が代」であるわけです。フェントンは早速、この歌に旋律をつけたのですが、出来上がりはイマイチ評判が悪い。コラール風で、アイルランド民謡ぽかったのだそうです。
で、明治9(1876)年に、海軍楽長だった中村裕庸が「君が代」楽譜を改訂したいという上申書を海軍軍務局長宛に提出しました。
中村裕庸は、その上申書にこう書いたそうです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(西洋諸国において)聘門往来などの盛儀大典あるときは、各国たがいに(国歌の)楽譜を謳奏し、以てその特立自立国たるの隆栄を表認し、その君主の威厳を発揮するの礼款において欠くべからざるの典となせり。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜

要するに、西洋では大典などの際に、国歌を演奏しているから、日本も国歌を持つべきである、というわけです。

ところがこの上申は、普通に考えるととんでもないことです。
なぜなら、中村裕庸はフェントンの弟子です。
その弟子が、師匠であるフェントンが作曲した君が代はイマイチだから改善したい、と上申したということだからです。
ところが、そこが師匠のフェントンです。
フェントンは、むしろ自分が作曲した君が代よりも、日本が日本文化に適した国歌を、自分たちの手で作曲するということに、逆に深い意義を感じてくれた。
そして、むしろ中村の上申をフォローさえもしてくれたといわれています。
なぜならフェントンは、日本人と親しく接し、日本文化に深く触れるにつれ、日本が好きで好きでどうしようもなく日本を愛するようになっていたのです。
こうして明治政府は、明治13(1880)年、宮内省雅樂課に、君が代の新たな作曲を命じました。宮内庁雅楽課の奥好義は、フェントンの作曲した作品にさらに改良を加えていきました。
その旋律を、当時最高の雅楽演奏家とされていた一等伶人の林広守が、さらに荘厳しました。
するとこんどは、音楽教師として日本に滞在していたドイツ人の音楽家フランツ・エッケルトが、「和音をつければ、もっと素晴らしいものになりますよ」と、曲に和音を加えてくれました。
つまり「君が代」の旋律は、日、英、独の、いわば合作によって生まれた旋律なのです。
その「君が代」について、次のようなエピソードがあります。
日本の代表的作曲家山田耕作氏が、若い頃ドイツに留学していたときのことです。
ドイツの大学の音楽教授たちが、世界の主な国歌について品定めをしました。
結果、第一位に選ばれたのが日本の「君が代」だったのです。
理由は、まず曲の素晴らしさがあったことでしょう。
そして君が代の歌詞に込められた古代の日本人の心を知ったとき、まさに「君が代」は賞賛の嵐となったのです。
「君が代」は、平成11(1999)年に、国歌として法制度化されました。
実は、それまで「君が代」は、明治大正昭和にかけても、国歌とする法はなかったのです。
それでもみんなが「君が代」を国歌と思ってきた。法があろうがなかろうが、関係ないのです。
幾百年にわたって、多くの人々によって、祝い歌として歌い継がれてきた謡曲が、稀世のメロディを得て、素晴らしい曲となったからです。法なんてなくても、意味を知れば誰しも自然とこの歌が国歌と思う。それだけのことです。
そして、そういう「自然にみんながそう思う」ということが、世の中においてとっても大切なことなのではないかと思います。
法があるかないかの問題ではないのです。

私は、胸を張って「君が代」こそが我が国歌であると申し上げたいと思います。

 
 
例会風景 例会風景 例会風景
 

委員会報告等

委員会報告

委員会報告

社会奉仕委員会・新世代奉仕委員会

委員長:竹内建

 

委員会報告

ロータリー財団委員会

委員長:鶴岡武

 

委員会報告

交換留学生近況報告

ホストファミリー:齊藤清紀

 

出席報告

出席報告

出席委員長:高嶋淳二

会員総数:34名(内出席免除会員数8名)
出席:26名(内出席免除会員数4名)
MU済:1名 ゲスト:0名 ビジター:0名

 
ホームクラブ出席率
今回 出席率 = (P)正会員出席 + (P1)免除会員出席
+ (M)メーキャップ会員
×100
(N)正会員 + 病気等免除
+ (P1)免除会員出席
90.00% = (P) 22 + (P1) 4 + (M) 1 ×100
(N) 26 + 0 + (P1) 4
前回
補正後
100.00% = (P) 18 + (P1) 2+ (M) 14 ×100
(N) 26 + 0 + (P1) 8
前々回
補正後
93.55% = (P) 22 + (P1) 5 + (M) 2 ×100
(N) 26 + 0 + (P1) 5
 
 
例会風景 例会風景 例会風景 例会風景

スマイルレポート

スマイル 4件

ニコニコ

  • 露木健造 幹事

    会員の皆様、連休如何お過ごしでしたか 自分はもっぱら裏山で自然と戯れて酒もぬき健康な生活を過ごしました。今期も残り2ケ月を切りました。ラストスパート頑張りたいと思います。ご協力お願いします。

  • 井上幸治 会員

    前回例会・夜間例会欠席致しました。申し訳ございません。誕生祝 ありがとうございました。

  • 北原弘文 会員

    交換留学生のヘンナさんのホストファミリーが齊藤会員へ変更されました。齊藤様、よろしくお願い致します。

  • 竹内建 会員

    4/27~28は 岩手町山田町 復興支援プロジェクトへ多くの会員の皆様にご協力いただきありがとうございました。

 
 
 

卓話

卓話

次年度計画について

天野正昭 会長エレクト

 皆さんこんにちは、次年度の会長を仰せつかりました天野です。
 今回、会長として必要な知識を学ぶ為のいくつかのセミナーに招集され受講してきました。
 入会して10年余り、お亡くなりになられた会員方々をはじめとして、現在も多くの会員の方々からご指導を受けております。特に山下会員からは横浜緑ロータリークラブ設立当時の貴重なご意見を拝聴しており、また毎週の例会では森宏会員のちょっとしたアドバイスがとても参考になっております。鶴岡会員からはロータリーのことをよく学びなさいよと、叱咤激励をされました。
 ロータリーは実践哲学ともいわれ、始めに実行、後に理論と学びましたが、あくまでロータリーの理念にそぐわなくては、自己流の実践となる事は申し上げるまでもありません。
そこでこの時間をお借りし前半を次年度計画発表とし、後半を私の自己流活動について紹介にさせて頂きたいと思います。

卓話

 それでは次年度の計画を発表させていただきます。

  1. 台湾ロータリークラブと友好クラブになる活動を推進します。
    現在、台中の近くに位置する3470地区「斗六北区RC」(トウリョウキタクRC)と接触を図っており先月も先方のクラブにお邪魔してきたところです。先日今回の計画の仲人役をしてくれた台南RCの友人から連絡があり、7月か8月のいずれかの月に会長、役員の数名で当クラブに来訪したい旨の連絡がありました。
  2. 東北の震災被災地への継続的な支援計画の推進です。
    現在、陸前高田のNPO団体「陸前たかだ八起プロジェクト」と連絡を取り現地でもっとも必要とされるモノは何か話し合っております。
    今月中旬に再度都内で打ち合わせを調整中です。
  3. 会員増強に取り組みます。
    このところ会員の退会も含めた会員の減少が世界的に起きているとことで、次年度も会員増強として「純増一名」との指針を市川緋佐麿ガバナーエレクトより会長エレクト会議にて受けました。地区ロータリー財団の次年度目標「未来の夢計画」における中身を注意深く読むと、ロータリー活動の活発化と、その活動を一般社会に認知していくかという点を挙げていますが、やはり最後の期待は入会者と寄付者が増えてほしいという願いと受け止められます。

以上ですが毎期継続している活動計画は忠実に実行し更なる充実した活動としていきたいと思っています。

 では、現在も継続中の留学生との交流活動の原点と意味について発表します。
昭和59年(1984)から始る。
食糧など日用品の援助、無料カット、社員旅行へ招待、交流パーティなど。
また15年前から継続中のBBQ大会は恒例となり来月も開催されます。
私も社員も人に何かするということは、自分の為にするもの、と考えております。
 理想ですが奉仕はあくまで独立していて、相手がいて自分がいるとの考えをせず、時間と気持ちが空いているときに自然な気持ちで行えればというのが願望でもあります。

 以上時間となりましたので終了致します。ご清聴ありがとうございました。

 
 
例会風景 例会風景