横浜緑ロータリークラブ

会報 第2491回例会 2022年 4月20日

第2491回例会 会報
2022年4月20日(水)

例会場:青葉台フォーラム / 時間:12:30~13:30

会長:清水裕之 / 幹事:北原弘文
司会:齋藤光宏 副SAA / 点鐘:清水裕之 会長

≪発行 クラブ研修・広報・会報委員長:浅井優子(クラブ奉仕委員長)≫


卓話

職業講話

武藤泰典 会員/舟橋金之介 会員


ゲスト


槍田祥一郎 様
[SMBC日興証券 青葉台支店長]

權進根 君
[米山奨学生・韓国]

ビジター


横浜港北RC
二瓶則子 会長
畠山浩一 幹事
石井一也 60周年記念行事実行委員長

会員誕生祝


該当者欠席


 

斉唱

『それでこそロータリー』

 

 

紹介・挨拶・お祝い・表彰等

ゲスト紹介

槍田祥一郎 様
[SMBC日興証券 青葉台支店長]

 

權進根 君
[米山奨学生・韓国]

奨学金授与

 

ビジター紹介

横浜港北RC
二瓶則子 会長
畠山浩一 幹事
石井一也 60周年記念行事実行委員長

ご挨拶

 

会員誕生祝

該当者欠席

 

 

パートナー誕生祝

該当者無し

 

会長報告

清水裕之 会長

皆さんこんにちは。今日は『規程審議会』についてお話いたします。
『規程審議会』は国際ロータリーの最高立法機関という位置づけと考えてください。
3年に一度、全世界のロータリー地区の代表者がシカゴに集まり、立法案の審議と投票を行う規定審議会は、ロータリーの組織運営において極めて重要な役割を果たします。

今年2022年は3年に一度の年に当たり、先週4月10日から14日にわたって、直接対面式とバーチャルのハイブリッド形式で開催されました。
今回の立法案は93件提出され、29件が賛成多数で採択されました。

(下記画像クリックでPDF表示)
20220420092015のサムネイル

プロジェクターをご覧ください。黄色い帯の付いた案件は日本からのもので、93件中27件で断トツの最多となっています。ちなみに2位はブラジル13件、3位アメリカ10件の順です。表の右に手書きで赤丸を付けた案件は採択されたものです。投票結果については、My Rotaryで見ることが出来ます。

いくつか紹介すると2ページ目一番上の13番、会員が事業場または住居を所属クラブの所在地域内もしくはその周辺地域に有する要件を削除する件、は採択されました。
その下14番、正会員がどのクラブに対してでも入会候補者を推薦できるようにする件も採択されました。
4ページ上から3つ目の46番、理事会から提出された案件『人頭分担金を増額する件』も採択されましたが、修正があったと記載されていましたので、詳細につきましては、後日報告させていただきたいと思います。
それでは最後に過去の規程審議会の様子を映した動画(3分間)がありますのでご覧ください。

 

幹事報告

北原弘文 幹事

 

委員会報告/会員報告等

特に無し

 

 

 

出席報告

露木健造 出席委員長

今回出席状況
会員情報 在籍会員 出席 MU済 ビジター ゲスト
会員総数 29 19 1 3 2
(内 出席免除会員数) 6 3

 
ホームクラブ出席率 外部参加者
対象 会員数
(男/女)
出席率 正会員
出席
免除会員
出席
Make-up
会員
ビジター ゲスト
今回 29 (25/4) 76.92 % 16 3 1 3 2
前回補正後 29 (25/4) 76.92 % 15 3 2 0 1
前々回補正後 30 (25/5) 85.71 % 19 4 1 0 1
 

スマイルレポート

スマイル 20 件

ニコニコ

二瓶則子 会員
[横浜港北RC]
60周年記念例会のご案内にまいりました。よろしくお願い致します。
畠山浩一 会員
[横浜港北RC]
横浜港北RCの60周年のキャラバンで参りました。姉妹クラブという事で今後も宜しく御願い致します。
石井一也 会員
[横浜港北RC]
本日は、私共 港北RC60周年記念例会のキャラバンに伺いました。よろしくお願い致します。
清水裕之 会長 槍田様、クォン様、ようこそいらっしゃいました。横浜港北RC 二瓶会長様、畠山幹事様、石井60周年記念行事実行委員長様、本日はお越し頂きありがとうございます。どうぞよろしくお願いします。
北原弘文 幹事 横浜港北RCの二瓶会長様、畠山幹事様、石井実行委員長様、ようこそいらっしゃいました。クォン ジングン君、勉学励んで下さい。
浅井優子 会員 ・クォン ジングン君、本日はようこそ。
・横浜港北RCの皆様、本日はようこそお越し下さいました。そして60周年おめでとうございます。
・舟橋会員、武藤会員、本日の卓話お願い致します。
内倉和子 会員 槍田様、權様、横浜港北RCの会長 二瓶様、幹事 畠山様、60周年記念行事実行委員長 石井様、ようこそいらっしゃいました。ごゆっくりしていって下さい。
大地哲郎 会員 槍田様、權 進根様、ようこそ。横浜港北RC 二瓶会長、畠山幹事、石井実行委員長、ようこそ。舟橋会員、武藤会員、職業報告よろしく。
加藤浩介 会員 米山奨学生 クォン ジングン君 ようこそ!港北RC 二瓶会長、畠山幹事、石井60周年委員長、ようこそお越し下さいました。舟橋会員、武藤会員、卓話楽しみにしております。
小八木隆男 会員 クォン ジングン君、ようこそ!舟橋さん、武藤さん、本日の卓話よろしくお願いします。
齋藤光宏 会員 SMBC日興証券 青葉台支店 支店長 槍田 祥一郎様、ようこそいらっしゃいました。ゆっくり楽しんで下さい。米山奨学生 權 進根君 はじめまして、一年間よろしくお願いします。横浜港北RC 会長 二瓶 則子様、幹事 畠山 浩一様、60周年記念行事実行委員長 石井 一也様、ようこそお越し下さいました。どうぞゆっくりなさって下さい。舟橋 金之介会員、武藤 泰典会員、本日の卓話よろしくお願いいたします。
篠田正道 会員 港北RC 二瓶会長、畠山幹事、石井委員長、ようこそいらっしゃいました。ごゆっくりして行って下さい。舟橋会員、武藤会員、本日の卓話よろしくお願いします。
下中英輝 会員 クォン君 これからよろしくお願いいたします。横浜港北 二瓶会長、畠山幹事、石井実行委員長、ようこそ。舟橋様、武藤様、本日の卓話よろしくお願いいたします。
高嶋淳二 会員 槍田様、權様、ようこそ。二瓶様、畠山様、石井様、ようこそ。
田中孝 会員 横浜港北RC 会長 二瓶 則子様、幹事 畠山 浩一様、60周年記念行事実行委員長 石井 一也様、ようこそおいで下さいました。60周年お目出とうございます。
露木健造 会員 会長 二瓶 則子様、幹事 畠山 浩一様 ようこそ。米山奨学生 權 進根 君 1年間頑張って下さい。舟橋 金之介会員、武藤 泰典会員 卓話宜しくお願いします。
舟橋金之介 会員 ・米山奨学生クォン ジングン君 おめでとう御座居ます。学業にもロータリーにも大いに活躍されます様期待しております。
・横浜港北ロータリークラブ 二瓶会長、畠山幹事、石井実行委員長 ようこそおいで下さいました。親クラブの創立60周年を心から御祝い申し上げます。
松尾伸治 会員 クォンさん、ようこそおいで下さいました。横浜港北RC 二瓶会長様、畠山幹事様、60周年記念実行委員長 石井委員長様、ようこそおいで下さいました。本日よろしくお願い致します。
武藤泰典 会員 横浜港北RC 二瓶様、畠山様、石井様、ようこそいらっしゃいました。創立60周年おめでとうございます。米山奨学生 權 進根君、ようこそいらっしゃいました。
村松勇治 会員 横浜港北ロータリー 二瓶様、畠山様、石井様、ようこそ。クォン君、ようこそ。舟橋さん、武藤さん、卓話よろしく。今日のクールビズは寒いです。
 

ニガニガ

今回は無し  
 

卓話

職業講話

武藤泰典 会員

私は、東京の目黒区で生まれ、小学校から大学まで東京の学校に通っていました。神奈川県に住むようになったのは中学2年生の時で、最初の東京オリンピックの開会式の日、1964年(昭和39年)10月10日に東京から神奈川県川崎市に移ってきました。そして、やはり昨年の東京オリンピックの開会式が行われた7月23日に現在住んでいる横浜市青葉区に移りました。 会社の近くに移ったということで通勤がとても楽になりました。

大学は東京理科大学理学部応用物理学科卒業で舟橋会員と北原幹事とは同窓です。
私が横浜緑RCに入会した年の最初の夜間例会の屋形船での宴会で、北原幹事から声をかけられ、同大学同学部同学科卒だと聞いて驚いたことを覚えています。
また、後で知ったことですが、舟橋会員とは大学時代に2年間同じ同好会に所属していたということで、当時、部室で顔を合わせていたのかもしれませんし、理大祭の時の軽音楽喫茶で同じステージ立っていたのだろうと思いますが覚えていません。

大学を1973年に卒業しまして、武藤電機に入社しました。入社してすぐ、The Spencer Turbine Company という会社に研修目的で行かされました。スペンサー社と言うのは、武藤電機が1967年から、技術提携をしているアメリカのブロワーメーカーでコネティカット州ハートフォードに在りました。今は、コネティカット州ウィンザーという所にあります。

武藤電機は、1958年に父が東京都目黒区で創業いたしました。その後、横浜市港北区を経て、1970年に今の場所、緑区西八朔町に移りました。
武藤電機は、現在、横浜の本社工場の他に、大阪に営業所が一ヶ所、長野県茅野市に茅野工場があります。総勢約95名の会社です。
何年か前に横浜緑RCの職場見学会で、私共の茅野工場にお越し頂いた事がありましたのでご記憶されていられる会員もいると思います。
1975年にアメリカでの研修を終えて武藤電機に戻りました。
戻ってからは、またブロワーの組み立てから始まり、設計の助言などをしたりしました。その後、電算課に配属になり、武藤電機のコンピューターシステムを作り上げました。今もそのシステムを改良しながら使っております。
取締役になってからは、製造部、総務部の部長をやりました。当時社長だった兄が亡くなった後は、常務取締役になり、一時期、茅野工場長も兼任しておりまして横浜と茅野を行ったり来たりしていました。
1993年に、代表取締役になり、現在にいたっております。

私共が製造しているのはブロワー、「工業用送風機」です。
皆様がよくご存じの送風機といいますと、扇風機や換気扇、そのほか掃除機などがあります。つまり、空気やガスなどの気体を移動させる機械ということです。

送風機と言うのは、構造的にいろいろな種類がありますが、私共が製造しているのは遠心式送風機というものです。分かりやすく言いますと、傘を広げて、くるくる回しますと、傘に付いた水滴が外側に弾き飛ばされる状態、つまり、遠心力を利用して、圧力を高めるタイプの送風機です。
送風機は普段なかなかご覧になることはないと思いますが、皆様の生活にはなくてはならない、生まれてからお亡くなりになるまでの間、或は、お亡くなりになった後でも、色々なところでお世話になっている機械です。
私どもが製造している送風機が、どんなところに使われているのかについて、お話したいと思います。

送風機の使い方につきましては、吐き出す力を利用するものと、吸い込む力を利用するものとの、二つの利用法があります。

まず、吸い込む力を利用した送風機の主な使い方をお話します。
一番分かりやすいのは、集塵です。塵を集める、つまり清掃のことです。一般家庭で使われている掃除機と同じ様に、移動可能な集塵機もありますが、もっと大きい固定式の集塵機が主体です。工作機械の切削加工時に発生する削粉の集塵、ガソリンスタンドや、洗車場などで洗車した後、車内を清掃する時等に使われています。
その他、歯医者さんでの治療の際に口の中に溜った唾液とか歯の削りかすなどを吸引するのにも使われております。集塵用以外でも色々と使い方があります。
空気の力と言うものはかなり強いもので、吸着面積を広くすることによって、かなり重いものを吸着して搬送できるものです。例えば、鉄板やガラス板、ベニア板、タイル、紙などの搬送に使われています。又、ダンボール包装機械、木工機械、製本機械、印刷機械など吸着によって、加工物の位置ずれ防止用にも使われています。加工物の位置ずれ防止用としましては、この他に女性のストッキングを編むときにストッキングを正しく保持し、もつれや編みむらを防ぐために使われています。
その他、乾燥用として、木材とか海苔、野菜などに含まれている水分を取るために、密閉された部屋の中の圧力をブロワーによって徐々に抜いてゆき、時間をかけて乾燥させる真空乾燥用としても使われています。
脱水用としては、クリーニング、製紙製造工程用として使われています。これは製品で言いますと、赤ちゃんやこれから皆さんがご厄介になるかも知れません、紙オムツ等を製造するのには、送風機が必要です。
自動車関係では、車の排気ガス検出装置、排ガスの成分分析計の吸引動力源としても、使用されています。
他にもプラスチック、フィルム加工機、各種機械の発熱体の冷却用等に使われています。

次に、吐き出しを利用した送風機の主な使い方をお話します。
まず、燃焼用ブロワーです。 これは、ガスバーナーとか焼却炉などに使用されています。高圧の吐出空気によって燃料を微小分子にして、燃焼効率を高めたり、燃焼に必要な酸素を供給するために使われています。例えば陶器を焼く窯だとか、皆様がお亡くなりになった後、ご利用いただく火葬場の窯だとかに使われております。
次に、空気輸送用ブロワーです。 これは、小麦粉やコピー、印刷等に使うトナー等の粉体、或いは、ビニール、ポリエチレン等、ペレット状原材料、米や麦、大豆等の穀類の輸送などにベルトコンベアではなく、配管の中を送風機の力で移送するのに使われています。
三番目は、曝気用ブロワーです。
これは、イメージとしては、金魚鉢の水の中に酸素を送るブクブクです。主に水処理用として使われています。汚水処理場や下水処理場で水を浄化するときに、バクテリアへの酸素供給源として利用されています。魚の養殖池、ジャグジーなどにも使われています。
他には、水滴を吹き飛ばし、乾燥させるために使われています。身近なところでは、洗面所にある手洗い後の乾燥装置には送風機を使っています。
車を洗車した後の水滴除去、インスタントラーメンやレトルト食品などの製造過程での、水洗い後の水滴除去などに利用されています。
又、エアーカーテン、さかな養殖所の餌撒き機、硝子製造ライン等にも使用されています。
大体、ブロワーの用途として主なものを申し上げましたが、この他にもいろいろな分野で使われています。

この様にブロワーというものは大変地味な機械ではありますが、我々が生活するうえでなくてはならない重要な機械だと思っています。

 

舟橋金之介 会員

8年前にイニシエーションスピーチをさせていただきましたが、あらためて自己紹介とこれまでの仕事についてお話致します。私は今年の7月20日で75歳を迎えますが、これまでの自分自身を振り返りますと、1.生い立ち~学生時代、2.サラリーマン時代、3.経営コンサルタント業とほぼ3等分に分けることができます。(「スライド2」参照)

1.生い立ち~学生時代

  • 出身は名古屋です。
  • 家業は大正10年に祖父が創業し、その弟(大叔父)がすぐに参加した文具メーカー。
  • 私は初孫で、子供の頃から将来はその会社に入るものと思っておりました。
  • 中学までは成績上位。体育が苦手な子供でした。クラブは演劇部と弁論部に籍をおき活動しました。
  • 高校入学時の身長は、高からず高からずの147cm。背を伸ばしたいと言う思いで弓道部に入りましたが、ちっとも背が伸びないので、1年でやめました。
  • 大学受験は、工学部で経営全般を学ぶ経営工学、管理工学といった学科を受験しました。運だめしで挑戦した慶應の管理工学は見事不合格。本命の広島大はインフルエンザと親不知の手術の失敗が重なって受験できず、東京理科大学の経営工学科だけ拾ってもらえました。
  • 大学ではハワイアンクラブに入部。留年が多いと噂の大学でしたが、1年が終わって容易に単位はとれそうだと判断し、それからはクラブの方に注力しました。
  • 大学をでたら、実家の親族会社に就職するものと思っておりましたが、祖父と大叔父間でのトラブルにより、私は会社には入らない方が良いということになりました。
  • 卒業後どうすれば良いかと考えた結果、とりあえず大学院へ入ってスキルアップしてから就職しようと決め、大学受験で失敗した慶應の管理工学科で興味のある経済性工学を勉強しようと再チャレンジしました。
  • 大学4年の6月と1月の受験にいずれも失敗。もう1回だけ受けたいと親の許しをもらい、卒業後の6月に受験。今度は山が当たって合格。
  • 大学院の時は、人生の中でも、とても楽しく、穏やかな時間を過ごせました。生活費も親からの仕送り+家庭教師2件+日本規格協会でのバイト(部課長セミナーの議事録作成係)等を合わせると、当時の大学卒初任給の2倍以上の収入があり、とても裕福でした。
  • 大学院では経済性工学で著名な千住鎮雄研究室(千住三兄弟:博氏(日本画家)、明氏(作曲家)、真理子氏(ヴァイオリニスト)のお父上としても有名。)に所属し、オペレーションズリサーチと管理会計を学びました。

2.鐘紡・サラリーマン時代

(生産技術研究所)

  • 卒業後もどうすべきか決まらないので、まずは多角経営のメーカーに入ろうと考え、1973年4月鐘紡大阪本社(生産技術研究所配属)に就職しました。
    1. 入社早々、同社海外研修生制度に応募し、幸運にも合格。米国イリノイ州エヴァンストンにあるノースウェスタン大学大学院に2年間留学し、マネジメントサイエンス学科で、シミュレーション手法であるインダストリアルダイナミックス等を習得しました。(因みに、エヴァンストンにはロータリーの国際本部があります。)
    2. また、化粧品や繊維の主要工場を対象に、スケジューリングや在庫管理の最適化、製品別実際原価の把握等、生産管理を中心に社内支援コンサルを実施。
    3. 更に、本社企画部門向けに、コンピュータやオペレーションズリサーチ手法を活用し、繊維、化粧品、産業資材事業の製品構成の最適化に関する経営分析資料を提供する仕事等を行いました。

(情報システム事業部)

  • 生産技術研究所では、従来、研究員の費用を支援先の工場や本部の各部門に付替える方式で行っていましたが、化粧品を除く各事業の売上がはかばかしくない中で、付替えもままならない状況を改善するため、それまで社内で培った技術・経験を生かして、外部にソフトウアの開発・販売を行う情報システム事業部を立ち上げることになり、この事業の東京部隊に転勤となりました。
    同事業部での主な業務内容3点は下記の通り。

    1. 金融向けシステム開発のプロジェクトマネジメント
    2. EC統合を契機として、様々な日本企業が欧州進出をする中で、私が所属する事業部も欧州に進出する事となり、その先陣として1989-1992の約3年間英国に駐在しながら、ドイツに子会社を設立(代表就任)し、ビジネス立ち上げを実施。
    3. 帰国後は、同事業部の企画開発部長としてソフトウェア商品の輸入や自社開発管理などを実施。

3.経営コンサルタントに転身

  • 鐘紡の前途が次第に見えなくなってきた事や、いつかはサラリーマンを辞め、独立したいという思いを実現するため、50歳で退職しコンサルタントの道を歩み始めました。
    1年余りコンサルティング会社Baan Business Innovation B.V.(本社:オランダ)での経験を経て、1999年6月(株)ビジネスバリュークリエーションを創業。
    以来戦略経営コンサルタントとして約23年間、内外約40数社の企業を対象に、

    1. 現状分析に基づく戦略的課題の整理と事業計画の立案、
    2. 業務フロー作成による業務分析と業務改革支援、</li
    3. マネジメントシステム構築支援やISO審査員の評価業務、
    4. 国内外調査、研修セミナー講師、大学非常勤講師、出版  等を行っています。

最後に先日名古屋の実家で見つけた1枚の写真を紹介します。(「スライド3」参照)
1963年12月に名古屋西ロータリークラブ(創立1954年)のクリスマス家族会で唄と日本舞踊を披露している私の祖父と母親です。本日この例会場と同じ様に、国旗とクラブ旗とネームプレートが写っています。この60年近く前に撮られた写真を見ておりますと、緑ロータリークラブの例会に私自身が参加している事をとても不思議且つ幸せに感じます。

時間が短く、最後の方は詳細を割愛させて頂きましたが、ざっと以上が本日の卓話内容となります。今後共皆様には引き続きご指導、ご鞭撻の程宜しくお願い致します。

 

オンライン出席状況

 

下記画像をクリックでフルスクリーンスライドショー